りんしん りはく しゅくこう おんせい
深きに臨んでは落ちないように用心し、薄い氷を恐る恐る踏むように慎重に事にあたれ。つとに起きて(冬は)温かいように、(夏は)涼しいように仕えよ。
忠君と孝行の心得である。政治の世界には思わぬ落とし穴もあるであろう。時には危ない橋を渡らねばならぬこともあろう。用心し慎重に事を運ばねば勤まるまい。
父母に対しては気候を考慮して温暖に気をつかい、居心地のよいようにして仕えよ、というのである。衣類も同じであろう。
これを「もてなしの心」としてとらえたのは千利休であった。茶道の奥義として「南方録」には「夏は涼しいように。冬は温かなるように。」「これにて秘事は終り候。」と言っている。
【字形説明】
履 「り」は動詞で「踏む」の意。名詞では「靴、はきもの」。
夙 「しゅく」は「よあけ」。中の「一とタ」を『干録』では「俗」、「二とタ」が「正」とするが、これは一般に受け入れられなかったらしい。
興 同の中を「口」とせずに「コ」とするのが楷書では一般的。狭いところだからこの方がスッキリする。
温 「日」の中を表記のように人とするのは篆書形にもとづく。『九経字様』では日形は「俗」という。しかし隷書ではすでに「日」となっていたので、無理に「人」形にしなくてもよい。
清 表記の天溪書ではニスイ(冫)で、活字はサンズイである。(パソコンの文字変換ではニスイの活字が出てこない)。智永の千字文にはサンズイで書かれている。どちらなのか。初唐まではほとんどがサンズイであった。これを正したのは『干禄』である。「清」は「すがすがしい」、ニスイは「つめたい」と意味を違えているから、温清の清はニスイとしたのである。ニスイの清を収録している辞書は『康煕字典』以下これにならった。ところで『干禄』は従来ニスイに書いていた文字をサンズイに変えることが多い。減、滅、盗、涼、凍、決などかつてはニスイであった字をすべてサンズイに直している。盗、凍は「それにもかかわらず」生き残ったニスイである。したがって清をニスイにしたのは『干禄』では例外的な扱いで、意味の違いを明らかにしようという意図があったものと思われる。なおここの音韻からは「せい」でなければならず、ニスイがよい。サンズイの「清」は唐音では「しん」。漢音でも微妙に「せい」ではないらしい。(岩波文庫の千字文には下平声十四清の韻で「命」と韻が合わないとある)。私は音韻に関しては不案内であるので、指摘だけしておく。
「33 臨深履薄 夙興温清」の印刷用画面はコチラ
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