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    <title>文字看板めぐり</title>
    <link>http://www.seikeikai.net/signboard/</link>
    <description>本格書道サイトの書道広場！稀代の書道家・岡村天啓先生の教えを引き継いだ岡村大が監修。本物の書道を学びたい方のための書道教室「青渓書苑」もご紹介！まずは習字からという方も大歓迎！</description>
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    <copyright>青渓会</copyright>             <!-- Copyright notice -->
    <category>Weblog</category>
    <item>
 <title><![CDATA[(37) 銀座六丁目の「大貴洞」]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_06-05-2011.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20110605-37.jpg">null</a><br />
<br />
　松坂屋の左角を築地方面に向かって二本目の右角に「心のこもった贈り物」という和風小物店があります。右の写真のように小さい看板で、ちょっと見にくいのですが、「大貴洞」とあります。<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20110605-37a.jpg">null</a><br />
　この「看板めぐり」は主に木刻看板を見て歩いていますが、これは木刻ではなく、文字を銅版に切り抜いて、桜の板に鋲留めしているといった手のこんだものです。<br />
　銀座にはこの手のものは他に見当たりません。そこで以前から気になっていたのですが、いざ写真を撮ると、上部の赤テントが強い反射光となってうまく撮れません。今日はここの社長・檜山さんにお話を伺いました。書は30年ほど前に、ある方のご紹介で書いていただいたもの、銅版に打ったのはそれより後、ということです。関係者がまだご存命なので、そのうちに調べてお伝えしましょう、とのやさしい申し出をいただきました。したがって遠からぬうちにこの文章に手を入れられるかと思います。そのときは写真も撮り直してみます。なお別館の事務所二階には別の力作が　<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20110605-37b.jpg">null</a><br />
掲げられていました。葡萄がからまっています。銀座はなかなか奥深いところです。■大貴洞　中央区銀座6-12-1　℡03-3574-6015　　松坂屋の左角を築地方面に向かって二本目の右角に「心のこもった贈り物」という和風小物店があります。小さい看板で、見にくいのですが、「大貴洞」とあります。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_06-05-2011.html</comments>
 <pubDate>Sun, 5 Jun 2011 15:41:15 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（36）銀座四丁目の「千里濱」　≪金田庄一≫]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_01-30-2011.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20110130-36.jpg">null</a><br />
<br />
　三原橋に近い銀座四丁目の大衆割烹です。長方形の板ではなく、根っこのほうの板目を使っています。字を書く側からすると、特殊な形なので書きにくく、敬遠したくもなりますが、看板は目立つに越したことはないので、こうした面白い形を活かすのも看板ならではの面白さがあります。<br />
<br />
　ちゃんと暖簾の字も合っています。暖簾は暖簾で別の人が書いたものも数多く見かけるなかで、これは両者を合わせており、統一した店の顔をデザインしていることがわかります。　板のほうは伝統的な右から左への流れですが、暖簾は逆です。最近は左から右への看板も増えているので、いずれは読みやすい「左⇒右」のパターンが主流になるでしょう。これなどはその「過渡期」の折衷案として歴史に残るかもしれません。<br />
<br />
　原書は店内にかけられています。落款は「金田庄印」とあり、ご主人の義理の叔父にあたる書家・金田庄一さんがお書きになったものです。このかたの叔父が書家・金田心象（1908～1990）だそうで、日展の常務理事をも務めた重鎮。血はあらそえないものですね。ただし庄一さんは叔父さんの威光にあやかるのが厭で、日展にも出しませんでした。<br />
<br />
　インターネットの「グルナビ」に登場するおいしい店として、いろいろ取り上げられているようです。あまり有名になり過ぎて「お高く」ならぬよう陰ながら心配しています。千里濱（ちりはま）は能登の明光で、砂浜と松林の間の数10キロにわたるドライブが楽しめます。石川県出身のご主人が銀座に出店してかれこれ30年。３０年前に書いてもらったんです、という話でした。<br />
<br />
■「千里濱」　中央区銀座4-8-4　三原ビル1F　℡　03-3564-2386　昭和通りの一本手前、シネパトスを出た道の左側です。　三原橋に近い銀座四丁目の大衆割烹です。一本先は昭和通り。ケヤキの根っこのほうを使った看板です。暖簾もご覧下さい。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_01-30-2011.html</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Jan 2011 19:06:35 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（35）銀座の日本料理「古窯」　≪小林斗盦≫]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_12-12-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20101212-34c.jpg">null</a>　いつも思っているのですが、印刻（＝篆刻）は方寸の小さな世界ではあるが、これを大きく引き伸ばして、木刻作品もできるし、当然看板にも応用できる、しかしなかなかそのような作品や看板にはお目にかかれません。<br />
　ところが銀座を歩いていたらこのような印刻の灯篭看板があったのです。これは珍しいと、二階に上がってみたら、「古窯（こよう）」という木刻看板もありました。落款を見ると「斗盦」（とあん）とあり、これは恐らく小林斗盦先生の行書ということになります。　<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20101212-34a.jpg">null</a>篆書ならともかく行書ですから、ちょっと珍しいのではないでしょうか。<br />
　小林斗盦（1916～2007）はつい三年前に91歳で亡くなられた篆刻界の大御所。文化勲章に輝く大長老でした。恐らく灯篭型看板のもとになった印刻作品もあるのでしょう。<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20101212-34b.jpg">null</a>盦（アン）は「今と西と皿」の合字。不思議な字形ですが、酒樽の蓋という字形。アンという音が「庵」につながるので、庵号などに使われます。斗はひしゃくです。<br />
<br />
　「古窯」は山形県上山市葉山にある旅館です。建築中に奈良時代の窯が発見されて、古い土地であることがわかりました。1982年に銀座に進出。女将さんはＮＨＫの朝ドラ「おんなは度胸」のモデルになったかただそうです。山形牛、米沢牛をふんだんに使った日本料理に、老舗人気旅館の心意気がこめられています。当代一流の篆刻家に行書を依頼した気合を、私は感じます。<br />
<br />
■日本料理「古窯」　中央区銀座7-6-11　ミクニビル２Ｆ　03-3574-7666<br />
<br />
<br />
　銀座七丁目の日本料理屋。落款を見ると「斗盦」（とあん）とあり、これは珍しい小林斗盦先生の行書ということになります。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_12-12-2010.html</comments>
 <pubDate>Sun, 12 Dec 2010 14:57:27 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（34）銀座・石亭]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_12-04-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20101204-34sekitei02.jpg">null</a><br />
<br />
　銀座七丁目の懐石、しゃぶしゃぶの料亭「石亭」の看板です。珍しく隷書です。参考のために、別のぼんぼり形看板をご覧下さい。<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20101204-34sekitei.jpg">null</a><br />
<br />
　このほうが字としては面白くできています。一方木彫看板のほうは、「のっぺり」していて退屈に見えます。彫りが単調だからでしょう。いわゆるカマボコ彫りはこのように字を平凡にしてしまう欠点があります。これはむしろ平彫りで、浚いの目を凸凹にすればかなり面白くなったでしょう。同じ字なのに、彫るのと書くのとではやはり味わいが異なってきます。きれいに彫れているのですが、雅味に欠けます。板は桂のように見えます。<br />
<br />
　隷書の看板はそれほど多く見られないので貴重ですし、字も面白く書けていていいと思います。まあ少し欲を出して書いてみました。<br />
<br />
　さて、銀座・石亭の前身は本郷にあった「菊富士ホテル」とのこと。創業は明治27年、初代羽根田幸之助さんだそうです。石川淳、宇野浩二、坂口安吾、谷崎潤一郎、直木三十五など、そうそうたる文士が常連だった老舗ホテルでした。<br />
<br />
■石亭　中央区銀座7-13-8　第二丸高ビルB1　昭和通りに面しています。<br />
　銀座七丁目の懐石、しゃぶしゃぶの料亭「石亭」。珍しく隷書です。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_12-04-2010.html</comments>
 <pubDate>Sat, 4 Dec 2010 15:07:22 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（33）築地の「河庄双園」]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_08-05-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20100805-32kawasyo.jpg">null</a>　<br />
<br />
　銀座方面から采女橋を渡って左側にあります。長い塀に掲げられおり、大きくはありませんが、目立つ看板です。<br />
<br />
　欅の肌を生かした地に群青を入れています。懐石、会席料理、ふぐ料理の高級料亭。板の肌色がすがすがしく、木目（もくめ）もあざやかで、見るからに銘板です。和風な感じは塗装しないこの欅の肌にあります。落款がないのでどなたの字かは不明です。おとなしく真面目に書かれています。よくお寺の篆額などに人を喰ったようなイヤラシイ字を見かけることがありますが、「どうだ、達筆じゃろう」と言わんばかりのものに、本当の達筆はありません。おのずと品性が表出するので下品な心魂が丸見えというのもどうかと思います。というわけでこの字は無難なところが控えめでよろしいのではないでしょうか。<br />
<br />
　ホームページを見ると、先代の女将が京都・祇園と東京の築地に「河庄」をふたつ開店したので、「双園」と命名したようです。「河庄」は近松の「心中天綱島」の河庄の段に出る茶屋「河庄」からとった、とあります。<br />
<br />
　なかなかの高級店らしく、取材には行きそびれていますが、そのうちお話を聞きに出かけてみるつもりで一応ここに紹介させていただきました。<br />
<br />
■河庄双園　中央区築地4-3-9　℡　03-3541-1010　<br />
　銀座方面から采女橋を渡って左側にある懐石料理「河庄双園」。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_08-05-2010.html</comments>
 <pubDate>Thu, 5 Aug 2010 17:42:33 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（32）水天宮の「辨財天」≪有馬頼寧≫]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_07-16-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20100716-sui.jpg">null</a>　<br />
<br />
　日本橋蛎殻町の水天宮です。至るところ書額が掲げられており、江戸庶民と木彫額がいかに密接であったかを物語っている生き証人でもあります。言わずと知れた安産、子授けの神様。「辨財天」は久留米藩有馬家の下屋敷に祭られていた辨材天を安置し、芸事の神様、宝生流の能楽とゆかりのあることでも知られています。<br />
<br />
　もともとは21万石・有馬の殿様の屋敷神を三田赤羽の上屋敷から明治５年にここに移したようです。この額を揮毫した頼寧（よりやす）公は日本中央競馬会の理事長をつとめ、年末の「有馬記念」の創設者だと言えば、そうだったの、と驚かれる方もあるでしょう。字は謹厳な楷書で、中央をふくらませた峰彫です。<br />
<br />
　近くに「有馬小学校」がありますが、これも有馬の殿様（頼咸よりしげ公）が明治７年（1873）に土地を寄付したので名づけられた小学校です。水天宮の土地も含まれており、有馬小学校にするか、水天宮小学校にするか議論されたそうですが、結局殿様の名前にした、と築地の波除神社の鈴木秀麿名誉宮司さんに聞いたことがあります。人名が冠せられている唯一の小学校だということです。<br />
<br />
　なおこの神社はご祭神が壇ノ浦に沈んだ安徳天皇、建礼門院、二位の尼ということでも由緒正しく、話題豊富な中央区の名所です。<br />
<br />
■水天宮　中央区日本橋蛎殻町2-4-1　03-3666-7195　日本橋蛎殻町の水天宮です。至るところ書額が掲げられており、江戸庶民と木彫額がいかに密接であったかを物語っている生き証人でもあります。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_07-16-2010.html</comments>
 <pubDate>Fri, 16 Jul 2010 20:04:20 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（31）「治作」のたて看板]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_07-04-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20100704-30tisaku.jpg">null</a>　築地の料亭「治作」の銀座店です。銀座八丁目のビルの地下にあり、階段に降りる手前にあります。珍しく一枚板のたて看板です。材は楓（かえで）だと思います。この木はくねくねとして、まっすぐ伸びないので建材にはなりませんが、このように縁の部分を生かすと面白い曲線と、木目がからみあって、看板には向いています。材質は堅く、稠密なのであまり反ったりもしないようです。<br />
<br />
　背面は大理石の壁になっており、そこにこの板が鎮座しているので高級感があります。文字はたった二字真ん中に収まっていて、天地にゆとりをもたせたことも板のよさを引き立てています。文字はおとなしく、彫り込みに緑青を入れ、垂らし込みの色むらが古色を帯びています。中央に小さく「銀座」と黒い文字が「ゴシック体」で書き添えてあるのがご愛嬌です。<br />
<br />
　落款もないので無名氏の書だと思いますが、そのうち取材して確かめてみましょう。<br />
　雨のかからないところにあるのに、板全体にニスを塗ったようで、それだけが安っぽく見えて残念です。<br />
<br />
■銀座「治作」　東京都中央区銀座8-12-15　全国燃料会館ビルＢ1　℡03-3542-5877<br />
　築地の本店は昭和6年創業。本多治作の屈指の料亭。水炊きが有名。　築地の料亭「治作」の銀座店です。銀座八丁目のビルの地下にあり、階段に降りる手前にあります。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_07-04-2010.html</comments>
 <pubDate>Sun, 4 Jul 2010 16:09:43 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（30）鶴屋吉信の「柚餅」≪富岡鉄齋≫]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_06-11-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20100611-30yuzu.jpg">null</a><br />
<br />
　江戸の中心である日本橋にも京都のお菓子屋の看板があります。「鶴屋吉信」の日本橋店です。風格のある大看板で、筆者はいわずと知れた富岡鉄齋（とみおかてっさい　1836～1924）です。写真の落款の字から富岡鉄齋と読み取れたら、あなたも大したものです。ヒントは「岡」が「富」のすぐ右下。左側に大きく「鉄」が書いてあり、一番下が「齋」です。<br />
<br />
　富岡鉄齋は明治を代表する「文人」で、漢学、国学、重厚な水墨画、京都車崎神社の神官、独自の書風、和漢書に埋もれた仙人のような風貌と、どこをとっても「文人墨客」のイメージそのものです。隠棲していると思いきや、京都の街のあちこちに鉄斎の看板があり、俗世間とうまく距離を保っていることが分ります。<br />
<br />
　大きな欅板に平彫りで、雅味を出すために底面を不規則に浚っています。色は定番の緑青。落款に比べると「京名物　柚餅」は誰でも「読める」ように書いており、肉太でメリハリのきいた筆使いです。<br />
<br />
■京都上京区に本店。創業は1803（享和3年）の和菓子の老舗。本店の看板は落款のところが「八十歳鐡齋」となっている。銘菓「京観世」と「柚餅」はどなたもご存知だろう。<br />
日本橋店：〒103-0022　東京都中央区日本橋室町1-8-8　℡03-3243-0551<br />
<br />
　<br />
<br />
　　京都の和菓子の老舗「鶴屋吉信」。看板には「鶴屋吉信」ではなく商品名「柚餅」と大書。字は富岡鉄齋。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_06-11-2010.html</comments>
 <pubDate>Fri, 11 Jun 2010 18:04:22 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（29）八木長本店　《山崎節堂》]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_06-05-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20100605-29yagityo.jpg">null</a><br />
<br />
　創業は元文２年（1737）という日本橋きっての老舗「八木長」です。鰹節はもちろん椎茸、昆布など日本料理の土台を支えています。<br />
　<br />
　この看板は山崎節堂（1896～1976）の書。すでに<a href="http://www.seikeikai.net/signboard/date_11-13-2008.html">（15）の美原堂</a>の欄でも述べましたが、日展の重鎮、日本芸術院賞受賞者、わが中央区書道連盟の創設者でもあります。先生ご自身も日本橋の鰹節問屋「中弥」の七代目で、「八木長」のご主人とも仲良しの同業者という間柄でした。<br />
<br />
　「まあ、呑み仲間ですな」と現八代目当主の八木長兵衛氏の話。「私の叔父なども節堂先生のお兄さんと懇意でした。お兄さんも書の達人でした。」　<br />
<br />
　兄・溪琴氏は泰東書道院審査員、謙慎書道会の顧問でもあり、筝曲に巧みでした。兄弟そろって書をたしなみ、兄は琴、弟は金魚の蘭鋳に心血をそそいだようです。<br />
　「日本橋の旦那芸の最後の人でした。」<br />
　「今の日本橋はいかがですか」<br />
　「いや、世の中がインスタントの時代になって、本物の味がわからなくなっていますからね。手間隙のかかる仕事にうつつを抜かす道楽心がなくなりました。」<br />
　<br />
　落款の戊子（つちのえね）は昭和23年（1948）。節堂の下は「中」。本名が中次郎なのです。<br />
<br />
■八木長本店　〒103-0022　東京都中央区日本橋室町1-7-2<br />
　℡03-3241-1211創業は元文２年（1737）という日本橋きっての老舗・八木長です。鰹節はもちろん椎茸、昆布など日本料理の土台を支えています。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_06-05-2010.html</comments>
 <pubDate>Sat, 5 Jun 2010 13:50:58 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[（28）野の花「司」の「千客萬来」]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/signboard/date_01-30-2010.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20100130-28sen.jpg"></a>　銀座松屋の裏通りの野の花、茶花を扱っている花屋さんです。看板ではありませんが、目立つ正面に下がっており、「千客萬来」の願いがこめられています。千の客がその十倍もやってくる、なんてなかなかいい文句ですね。「千変萬化」「千軍萬馬」「千秋萬歳」「「千紫萬紅」など、千と萬を組み合わせた熟語はたくさんありますが、これなどは最も出番の多い人気キャラです。<br />
<br />
　板に彫ってあるので目にとまりました。よく見ると文字の輪郭を巾の狭い丸刀で彫っただけです。これを境にして文字にクリーム色を施したので、板の焦げ茶色を地にしてよく映えています。板はいわゆる「はぎ（接ぎ）」もので、板同士を糊で「継ぎはぎ」してできたものです。「はぎ」のよいところは反ったりせずに丈夫なことです。一枚板はどうしても反ったり、ヒワレが生じたりしますが、接（は）いだ板にはそれがありません。もっといいのは安いことでしょう。<br />
<br />
　板は「はぎ」でも、このように静かな色調で語りかけるのもいいものです。字もおおらかで思わず店のなかに吸い込まれそうです。「なにぶんにも古いもので、誰が書いたかわかりません」とのことでした。<br />
<br />
■野の花「司」　中央区銀座3-7-21　野草を生け込みや宅配してくれる。大都会の真ん中らしい花屋さん。℡03-3535-6929看板ではないけれど、ちょっと感じのよい下げ札。野の花「司」]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/signboard/date_01-30-2010.html</comments>
 <pubDate>Sat, 30 Jan 2010 18:43:16 +0900</pubDate>
</item>
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