(20)翠竹堂≪豪潮寛海≫

ジェットコースターにぐるぐる振り回されたような、面白い看板をご紹介しましょう。京橋の骨董店「翠竹堂」のもの。
草書の看板は減少傾向にあります。読めない人が増えたからです。筆記具としての筆が特定の人の道具となり、筆の運びの特質を活かした草書が使われなくなって、もう久しいのです。草書は読めないものとアタマから決めてかかっている時代です。
分かりやすく示すと下のように書いてあります。「翠」の下の「卒」は今では「卆」と略しますが、草書ではAのように書くので、羽とあわせてBとなります。「竹」は通常Cのように書きますが、日本ではカッコをつけてDのように書く人が多いようです。 A B C D

この書は豪潮(ごうちょう1749~1835)という江戸時代の高僧の墨跡から採ったものです。豪潮寛海律師は肥後(熊本県)玉名市の出身で、16歳のときに比叡山にのぼって修行を積み、難行苦行の末、活佛とあがめられた人。郷里に戻ってからは九州各地を巡って民衆救済につくした実践派の僧侶です。大分県に滞在中は咸宜園の広瀬淡窻の病を治した恩人でもあり、九州では絶大な尊崇を今でも受けています。1817年に尾張の徳川斎朝藩主に招かれ、名古屋の長栄寺を再興。今も豪潮寺の名で親しまれています。
彫ったのは店主の父上だそうで、全くの素人です、と謙遜しておられましたが、穂先の一本一本を丹念にたどって、なかなかの努力賞ものです。筆順からすると、もぐるべき筆が上に出たりしていますが、これはご愛嬌としましょう。
読めない時代背景をものともせず、郷土の誇りを堂々と店先に掲げる心意気に、私などは声援を送りたくなります。
■翠竹堂 東京都中央区京橋3-9-7 03-5250-0023
掲載日時 2008 年 12 月 18 日 - PM 04 : 02
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