(60)三笠会館 ≪?≫
銀座並木通りの「三笠会館」です。この看板は店の名(=屋号)ではなく会館名です。同じような例は「東京会館」「東条会館」などあり、ホテル、結婚式場、レストランなどを多角経営している場合が多いようです。
「三笠会館」はレストランの店が集まった会館ということで、その名の通り一階イタリアンバール(La Viola)、二階イタリア料理、フランス料理(榛名)、三階しゃぶしゃぶ(吉野)、うなぎ(斑鳩)、氷処(みかさ)、四階中華(秦淮春)、五六階宴会場となっています。
この「三笠会館」の字は、すでに立派なロゴとしての役目を果たしており、一目見ただけで「おいしそう」なイメージを喚起させる立役者です。私はかねてからこの字は誰が書いたものなのか知りたいと思っていました。上品な字です。思うに書家の字ではなく、素人か画家かな、と推察します。「三」という字の最後は右上に引っぱっています。書家ならトメるでしょう。店のかたに尋ねたところすぐには分からず、追って広報担当のかたからご丁寧な回答がメールで送られてきました。「創業者と交流のあった方」ということしか分からない」とのことでした。2025年に創業百周年を迎えるので店の歴史を調査中とのこと、いずれオリジナルの書が発見されることを祈っています。
ということでこの項はこれでお終いとなるところですが、実は極々最近ひょんなところから、耳寄りな情報を得ましたので、それを付け加えておきます。
駒込に吉祥寺という名刹があります。曹洞宗のお寺で、八百屋お七・吉三郎の比翼塚があります。恋人に会いたい一心で放火、ボヤで済んだのですが、放火は重罪。鈴ヶ森で火あぶりの刑となりました。このほか吉祥寺は譜代大名や旗本の菩提寺だったので多くの大名家の墓があることでも知られています。ちなみに武蔵野市吉祥寺はここの住民が明暦の火事以降疎開してできた町で、駒込の吉祥寺の名をつけたもの。こちらが元祖です。この寺の住職・岩本勝俊師(1895-1979)は曹洞宗第19代の貫主となった人です。ただの貫主ではありません。越前の永平寺と鶴見の総持寺のトップを二年交代で務める曹洞宗最高位の御僧侶です。このかたの御子息・勝典師の結婚式が吉祥寺で行われたとき、披露宴の料理を銀座の三笠会館から取り寄せた、という話を耳にしました。「どうして?」と思いますよね。銀座から駒込はちょっと離れていますから。「吉祥寺の檀家総代が三笠会館なので」ということでした。思わぬところから糸がほぐれてきました。
三笠会館の創業者・谷善之丞は1925年に奈良から上京、歌舞伎座前に氷水屋「三笠」を開店。1947年に銀座の並木通りに進出し「三笠会館」を建てました。そのころの写真にはもう今の「三笠会館」の字が看板として掲げられています。創業者は禅の書をいくつか刊行しており、「禅心の遍歴(1962年)」「禅心と商魂-人生を逆転させるド根性(1976)」などがあります。曹洞宗と深いつながりがあったことが分かります。年代的にも岩本勝俊師と重なります。
糸口はまだあります。三笠会館の屋上に「無」の字が掲げられています。並木通りの向かい側から見上げなければ見えませんが、この字は曹洞宗18代の貫主・高階瓏仙師のものです。岩本貫主はそのあとを継いだのです。お寺さんに揮毫を依頼する例は多々あります。創立者はそうした縁によって尊敬する岩本勝俊禅師に新設の会館名の揮毫をお願いしたのではないか、と私は推察します。お寺さんの字だとすればそのようにも見えます。
三笠会館 〒104-0061 東京都中央区銀座⑤-5-17 並木通り
店舗ごとに電話番号がある。
掲載日時 2022 年 09 月 28 日 - 午後 02 : 16