(39)日本橋≪徳川慶喜≫
お江戸日本橋ゃ七つ
立ち、の日本橋です。
書は云わずと知れた
15代将軍徳川慶喜ですから、まさにこの橋にふさわしい揮毫者といえましょう。彼がひたすら恭順の意を示して上野寛永寺にひきこもったので、江戸城の無血明け渡しが可能になりました。そうでなければ江戸は火の海になったかもしれません。このときの西郷・勝の談判の下工作をやりおおせたのが、山岡鉄舟であったことも有名です。
最近この橋は洗われて白く美しくよみがえりました。恨むらくは上に高速道路がかかっており、うっとうしい限りです。これぞ日本の「恥」です。その高速のどてっぱらに「日本橋」の大表示がありますが、これは高速の腹であり「日本橋」ではありません。僭越きわまりなしです。慶喜の字をコピーして横並びにしています。橋の表柱だけあれば充分です。表柱の字に比べるとのっぺりしていて安っぽく見えます。こんなものは高速ごと早急に取り除いて明るい橋にしてください。不景気で世の中が逼塞しています。江戸の原点ともいうべきシンボルがこんなことでは先が見えています。この都心環状線は竹橋あたりで地下深くもぐらせ、二度と再び陽の目を見ないようにしてください。お願いです!
掲載日時 2012 年 02 月 18 日 - 午後 02 : 26