28 空谷傳聲 虚堂習聴

28 空谷傳聲 虚堂習聴

     くうこく でんせい   きょどう しゅうてい

 (耳をすませば)誰もいない谷にも人の声がする。誰もいない部屋であっても耳をすませよう。これが聴くを習うということだ。

 誰かが話すことに耳を傾けるのはあたり前のことで、人の気配すらないところでも注意深く耳をすますことを学ぶのである。

 王たる者(統治者)は民衆の声なき声に耳を傾け、君子は人の言葉に敏感である。
 テレビは音と言葉の洪水である。美術品の鑑賞画面にまで音楽を流している。これでは虚堂に耳をすまし、微細な物音を聞き分け、孤独に耐えられる人間ができるわけがない。
 最近の医者は患者の痛みを察知しないで、データーの数値ばかりを睨んでいるが、「聴診」の修練はどうなったのだろう。ちょっとこれは余談かもしれないが。


【字形説明】
 右の田の下に「ム」をつけるのは『干禄』が篆書字形に近づけたためで、初唐までは楷書に「ム」のないのが普通であった。なお後段(43)には「傅(ふ)」の字が出てくるので注意したい。「田」ではなく「甫」に「寸」だが、ほとんど「田」のように書く。点の有無で区別する。
 表記の声の部分には点がない。初唐まではこれが普通だった。『干禄』でやはり篆書に近づけて「声」とした。『龍龕手鑑』(997年刊)は「耳部」とせずに「点のない声部」を立てている。「馨(けい)」の字も同様。
 「乕」を「虎」に書くのは『干禄』からである。7の「號」、12の「虞」などすでに述べた。なお下の並の(下部の)ようになっている部分は「丘」に書くことも楷書ではよくある。
 本来の字形は羽の下は「白」でなく「曰(えつ)」である。『干禄』もそうなっている。「曰」は祭器を表す。『五経』『九経』に記載がないので、「白」としたのは『康煕字典』からであろう。
 「耳ヘン」の下部に「ン」や「壬」をつけるのは『干禄』からで、初唐までにこれらの付属物は淘汰されてすっきり「耳」となっていた。またツクリの「四」の下のヨコ棒も『干禄』が篆書形から復活させたもので、初唐までにはないのが普通だった。なおチョウと読むのは呉音、漢音はテイで、千字文は漢音で読まないと韻が合わない。

「28 空谷傳聲 虚堂習聴」の印刷用画面はコチラ

この見本文字を利用したら、右記リンク先から写真をお送りください。 - 青溪会への通知