49 性静情逸 心動神疲

49 性静情逸 心動神疲

     せいせい じょういつ   しんどう しんぴ

 本性が静止していれば、情動から逸脱(のがれ)ることができる。(情動に捉われていれば)心は絶えず揺れ動き、神経は疲れる。

 「情逸」を情(こころ)逸(おだやか)と読ませる本があるが、逸(いつ)は「抜け出る、のがれる」の意味で、情から逃れるから「安逸(おだやかな心)」になるのである。「逸」がおだやかなのではない。

 神は「精神」の神だと解釈する本がほとんどだが、「精神」を「神」と略するだろうか。また精神は心のはたらきで、「疲れる」のは神経なのではなかろうか。精神はなかなかタフだろうと思う。

 静と動が対句である。思うに「神」はリッシンベンの字を持ってきたかったのではなかろうか。しかし他のところで使い切っていたので、已む無く「神」で妥協したのであろう。

【字形説明】
 ツクリは「争」と上部を「ク」にするのが伝統形。『干禄』で「争」を通、「爭」が正とした。
 リッシンベンは上に性があるから変化させたのである。また「青」も上に静があるので、変化させたのである。
 『干禄』では「免(めん)」の最後を「ヒ」とするのが「正」だとしている。兔(ト、うさぎ)のように点を打つことをすすめている。しかし伝統的には点は不要。兎(うさぎ)ではない。

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