46 交友投分 切磨箴規

46 交友投分 切磨箴規

     こうゆう とうぶん  せつま しんき

 友との交わりは互いに志を同じくし、切磋琢磨して規範に照らして正し合い、いましめ合うべきである。

 「投分(分を投ず)」とは、分けて半分ずつにする、という意味ではなく、「シェアーする、等しく持ち合う」という意味である。つまり同等に持つと云ってもよい。では何を同じくするのか。常識的には「より高いものを目指す気持ち」いわば「志」を同じくする、と考えておこう。

 「箴(しん)」は漢方の針である。箴言(しんげん)という語がある。ちくりと戒める、たしなめる言葉である。
 「規」は規範のこと。動詞に読むと、(規範にのっとって)正す。

 よい友達同士はいましめ合うというのである。「小人閑居して不善をなす」のとは正反対で耳が痛い。

【字形説明】
 もとは手を二つの形。篆書の手は「又」という楷書形になり、これをタテに二つ並べると「友」になる。そこで第一画の最初は表記のように、しっかりとヨコに筆を入れてそのあとハラうのである。
 ツクリの「殳(しゅ)」は古くは「々」の下に「攵(ぼく)」と書いた。『干禄』でこれを「殳」と簡略化した。
 伝統的な書の字形では、表記のように最終画はハラわずに「トメ」る。草書でも最後は右に点を打つ。『干禄』でこれを「通」とし、ハラったあとで刀を書く形を「正」とした。現行の活字はこれに従っている。しかし、本来的には「刀」ではなく、表記のような「勹」形がよい。(一本目は少し長くなる。)書き順も、ハライ、ハライ、ヨコから下げてハネ、点である。
 伝統的な楷書形は左側は「七」ではなく「十」である。『干禄』で十の形を「通」、七のように曲げる形を「正」とした。曲げると刀の払いとぶつかって字形としては具合が悪い。天溪は曲げて書いたので前の「分」(伝統的な書)と整合しない。ここは「十」とすべきであった。
 初唐までの伝統的な書では「竹カンムリ」はすべて「草カンムリ」に書いた。『干禄』で区別するようになったことは、すでに37の「篤」、38の「籍」のところでも述べた。

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