45 孔懐兄弟 同氣連枝

45 孔懐兄弟 同氣連枝

     こうかい けいてい  どうき れんし

 はなはだ なじみ合うのが兄弟というものである。気を同じくして同一の親に連枝しているからである。

 「孔(こう)」は「はなはだ」と読む。
 「懐」は「なつかしい、なつく、ふところ」などの読みがあるが、兄弟同士が「なつかしむ」というのも訳として違和感がある。常に幼かったころを懐旧してばかりいるわけではなかろう。ここは同じ母親の懐に抱かれて育ったという意味で、「なじみ合う」と訳してみた。

 気を同じくする、というのもいろいろな解釈があってよい。気質が似ていることもあるだろう。しかし兄弟同士が相争ってしまう例もよくあることだから、やはり「同気連枝」が望ましい。姉妹も同様である。


【字形説明】
 金文の字形は子供の後頭部に小さな曲線がつく。これを幼児のまだふさがっていない頭骨を意味するのか、何らかの生誕儀礼を表すものなのか、定まっていない。いずれにせよ重大な儀礼であったらしく「はなはだ(甚)」と読むようになった。
 旧字では「懷」とする。「四」の下に「氺」のようなものをつける。これは『干禄』が創始した字形で、もちろん篆書字形に近づけたものである。表記の天溪のような形が楷書の伝統で、このほうが由緒正しい字形である。しかし『干禄』でこれを「通」、込み入ったほうを「正」としたために、何ともウットウシイ字形がまかり通ることになった。現在の新活字の形は略字ではなく、むしろ正しい形に復帰した例である。
 旧活字では上を「ハ形」にするが、現行活字では「ソ形」である。書道では両用を使い分ける。『康煕字典』が「ハ形」を採用したので、「兼、并、益」など皆これに従ったのであるが、今は康煕字典字形(=旧活字)が廃れている。この点に関しては結構なことである。
 中は「米」。「メ」にするのは略字。篆書字形では米はいらない。「气」だけで空気を表すに足りている。米をつけるのは年貢の粟や米を「氣(おく)る」という意味で使われたらしい。食ヘンをつけて「おくる」と読む用例がある。中を「メ」とバツ(×)にしたのはどういう風の吹き回しであろうか。略字とはいえ説明に窮する。
 シンニュウが「二つ点」になっている。これは『康煕字典』がそうしたからで、初唐までに「一つ点」で決着したものを、わざわざヤヤコシクしただけである。楷書のシンニュウはすべて「一つ点」でよく、ある字は二つ、ある字は一つと区別する理由などは全くない。書道では隷書がいくつかのバリエーションを持つこともあって、楷書も変化をもたせるために「二つ点」を用いることがある。あくまでもバリエーションのひとつだと考えておく。

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