44 諸姑伯叔 猶子比児

44 諸姑伯叔 猶子比児

     しょこ はくしゅく  ゆうし ひじ

 もろもろの叔父、叔母たちは、甥や姪を我が子のようにいつくしめ。

 「姑」は父の姉妹、「伯」は父の兄、「叔」は父の弟。つまり「叔父と叔母」である。「猶子」は「兄弟の子」つまり「甥と姪」のこと。もともと「猶子(ゆうし)」は「猶ほ子のごとく」という意味から派生している。「叔」の字形は下の【字形説明】にのべる。

 「諸」については昔、サンスクリット語を扱っていたころのことを思い出す。玄奘訳に「諸菩薩」とあって、すべて原典では bodhisattovas と単数形である。玄奘がこんなことを知らないはずはないから、ここの「諸」は「それ」とか「そもそも」とか訳すべきなのではないかと議論したことがあった。ここも「姑・伯・叔」と三字もあるのだから、「もろもろ」は分りきっている。話しはじめの「さてさて」くらいの語調を整える言葉と考えても差し支えないのではなかろうか。

【字形説明】
 旧活字の「者」に点があるのは『康煕字典』にもとづいたためである。(下図左の下が旧活字で点がつく。)しかし『干禄』でも点はつけない。「説文」至上主義をとる『康煕字典』がコザカシイことをした為である。「説文」が「白部」にしているので点を加えたらしいが、白川説では金文の字形をふまえて白(しろ)ではなく「曰(えつ)」だとしている。「説文」の字形そのものが今や改変を余儀なくされている。表記のように点なしが正しく美しい。「渚」「堵」なども同じ。2010年5月に発表された「常用漢字表」の「追加される196字」を見ると、箸と賭だけに点がつく。者にはつかないらしい。おかしな話である。
 表記の天溪の書く字形が伝統的に正しい。(下図二番目)。この活字形は今日では廃絶している。復活させるべきであろう。なお最後の点に関しては上につけたり、省略したりと一定しない。この位置が一般的だと考えてよい。これを現行の活字のような「叔」としたのは『干禄』で、それが今日に至っている。篆書字形に合わせたからだが、見るからに美しくない形になってしまった。行書、草書も伝統的な表記の形に整合しており、『干禄』で「通」とみなされた字形になっていることも知っておきたい。「督、寂、淑、淑、俶」などもみな行草書と合わず、楷書だけが孤立している。
 「酋(しゅう)」の第七画を活字では上にハネ上げるが、(下図の右端。)こんな形を楷書では書かない。トメるだけである。「尊、醎」など酉扁の字はみなそうである。恐らく書を習わない活字デザイナーの勝手な思い込みが定着してしまったのだろう。こんな狭いところでハネたりすればゴチャつくに決まっている。楷書は何よりもコギタナクなるのを避けるのである。左アタマの「ソ」か「ハ」かについては、次の(45)の「弟」を見てください。
 「旧」の部分は面白いことに、今の活字のように書くのが伝統的な字形であった。(ただし下のヨコ棒は、左を長くしてタテ棒と接する。)またその楷書的バリエーションとして表記の天溪の書く「ソ」形もあった。しかし『干禄』は「臼」形を「正」として、それまでの字形を否定している。(下図右から二番目の下が『干禄』にもとづく旧活字。)
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