66 策功茂實 勒碑刻銘

66 策功茂實 勒碑刻銘

     さくこう  もじつ   ろくひ こくめい

 (貴族たちは)功績をあげるべく画策し、実利を得て栄える。それを石碑に勒(しる)し、銘文にして石に刻りつける。

「策」は「はかる(謀策)」の意。もうひとつ意味があって、「策命」という場合の策は「文書」の意味で、「冊」(文書を記すタケフダ)に通ずる。ここは前者である。「策定されれば」と受身に訳す本もあるが、天子が認めてくれたというよりは、貪欲な貴族が「画策して獲得した」というニュアンスを活かしたい。

「茂實」は実利を得て繁栄すること。やらせメールを送らせた九州電力の副社長が「策功茂實」の現代版である。

「勒」は「記す、きざみつける」、「銘」も同じ。金石にきざみつけて後世に伝えること。


【字形説明】
 初唐形ではクサカンムリに宋と書く。隷書、草書との整合性があるのはこの形である。『干禄』はクサカンムリをタケカンムリに直した字がかなりあり、この字も「タケカンムリに宋」と「タケカンムリに朿」とをともに「正」としている。朿を束と書くこともある。
 ツクリの「力」はもと農具の「鋤(すき)」の形である。「刀」と書くこともあったが、『干禄』で「刀」を「俗」として「力」を「正」とした。楷書としてはどちらでも同じである。
 ヘンは「革」であるが、初唐形では楷書の省略美学にしたがって「クサカンムリ」に「平たい口」に「十」と書く。『干禄』はこれを「通」とし、複雑で書きにくい「革」を「正」とした。しかし『干禄』の序では、表記の天溪が書いた字形「クサカンムリ」に「平たい口」に「十」とし、「十」のタテ棒を口の中に突っ込んでいる。初唐形をちょっといじったらしい。なお「勒」は篆書字形では馬の口にかませる「くつわ」の形で、転じて軍を整えること、正式にすること、の意になった。確かに石に記録すれば正式だろう。
 ツクリの「卑」は初唐形では上のヒッカケ(ノ)はなく「田」である。62の「鬼」と同じで、『康煕字典』がこれを加えたのである。『干禄』の序も「田」形。
 「亥(がい)」は屠殺した獣の形で、宗教儀礼の犠牲を原義とする。「説文」の「男女が子供を抱く形」という説は今では否定されている。活字では5画目を長くし、6画目をその右に添える(『五経』にある)が、楷書では表記天溪の書いたように、「く」形に書く。このほうが形がよいからである。

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