41 樂殊貴賤 禮別尊卑

41 樂殊貴賤 禮別尊卑

     がくしゅ きせん  れいべつ そんぴ

 (社会に目を移そう。)宮中における式典の音楽には身分による貴賎の違いがあり、禮法にも身分による尊卑の別がある。

 ここから韻が変わってテーマをかえる。礼法は音楽をともなうが、そこには身分の違いが示される。封建時代の儀礼の基本的なありかたがこれである。社会の秩序はここから発する。もちろん一般的に音楽は民謡などもあって、身分の上下で歌ったり踊ったりしてはならぬ、というものではない。ここで言うのは「式典音楽」のたぐいである。

 ヨーロッパの宮廷音楽で王家だけがヘンデルを演奏できる、などという礼法を聞いたことがない。孔子などが主張する礼節社会というものはここまで徹底したものであった 
「殊」も「別」も意味は同じで、何度も言うように同じ字を使わないだけである。「貴賎」も「尊卑」も同様であろう。

【字形説明】
 活字では偏をよこ棒の下に「タ」と書くが、表記のように二画目を折り返す形が書道では一般的であり、このほうが形がよい。『干禄』でも「例」の字の中央をこのように書いている。下はハネても、払ってもよい。ハネると隷書風でいかめしく、払うと楷書風で粋な感じとでも言おうか。
 『干禄』では「臾」(ゆ)の下に「貝」を書く字形を「正」とし、「貴」を「通」とした。もちろん篆書字形にもとづいた造字のはなはだしいものである。さすがにこの奇妙な字形は定着せず、「貴」が生き残った。
 今の活字「賎」のツクリは略字である。古くは「戈(か)」を二つ書いた。しかし楷書の省略原理により、点を二つ打つのは美的ではないので、上の「戈」だけにとどめた。『干禄』も点は一つである。ところが『康煕字典』は煩雑な形をものともせず、両方ともに点を打つ。表記の天溪の書がそれである。なお、下の「戈」のアタマをちょいと上に出すのは見せ場を演出した書ならではの処理法で、活字にはこのセンスが反映されていない。
 略字形の「礼」は後世にできた形のように見えるが、実は初唐においても「礼」と書くことがあった。『干禄』では「ともに正」としており、ただし「禮」のほうが多く行われていると述べている。シメスヘンは「示」でも「礻」でも可。
 表記の書き方は活字形と同じで、上部の「ハ」を開くか閉じるかの違いが筆法のバリエーションとしてあるだけである。しかし、伝統的な楷書では、初唐以降も第九画目(つまり酉の最後のヨコ棒)を長く、次の「寸」のヨコ棒を短くするのが常であり、表記のような形は見られない。楷書が美的凋琢を推し進めた一例である。
 伝統的に上部の「ノ」は書かない。『干禄』『五経』ともに「田」とする。碑、脾、俾、陴、埤、裨、蜱、睥、稗、痺なども同様である。『康煕字典』がこの篆書がえりを敢行したために、現在の漢和辞典もすべて「ノ」をつけている。後世の蛇足である。

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