64 髙冠陪輦 驅轂振纓

64 髙冠陪輦 驅轂振纓

     こうかん ばいれん  くこく しんえい

 高位の人は冠をかぶって天子の車に付き従い、車が走り出せば冠についている纓(えい)の飾り紐がゆらゆらと揺れる。

 高位の人は庶民と違って正式の冠を身につけている。冠位を表すからである。
「陪(ばい)」は付き従うこと。侍する、侍(はべ)るなどという。
「輦(れん)」は天子の乗る車。
「驅」は「馬を馳せる」ように馬車を走らせることである。
「轂(こく)」は見慣れない字だ。禾が入れば穀物の「穀」だが、車が入ると「車輪」の意味になる。
「纓(えい)」は冠をとめるための紐でアゴの下で結ぶ。日本では冠の後ろに垂らす飾りであるが、これももとは帽子を縛った布の余りを後ろに垂らしたものだった。中国では玉などの飾りのつく留め紐である。
「振」には「ととのう」の読みもあるが、「ふるう、揺れる」であろう。

【字形説明】
 表記の髙はいわゆる「ハシゴ髙」である。高は『説文』の篆書字形が口(くち)としているので、京と同様『説文』を踏襲したのである。しかし金文では明らかに「ハシゴ髙」である。高楼を象形するこの字形は屋根の下を土台にくっつけなくてはおかしいから、ハシゴ髙が本来的な字形である。最近では小篆の字形をハシゴ髙に改めるようになってきた。『説文』の不適正を正す、という意味で慶賀にたえない。神聖冒すべからざるものだった『説文』に朱を入れたのだから。
 「元」のところを「ネ」とする形を『干禄』では「俗」とする。しかし「ネ」は王羲之もそう書いているので、古くから両者は混在していたのであろう。『字統』(白川)ではそれについて触れていない。このような場合は篆書ばかりでなく、隷書の変容を今後研究する必要があろう。
 コザトヘンは神梯(神殿のきざはし)。咅(はい)には「ふくれる」という意と、「二つにものを剖(さ)く」意とがあるという。この両者が合わさると、どうして「侍る」という意味になるのか、よくわからない字形である。
 上部の夫二つを旡二つ、あるいは兂二つに書く「旧字形」がある。『干禄』には輦の記載がないが、讃、潜、簪などは「旡、兂」が「正」、夫は「俗」としているので、輦も旡二つを「正」と考えるのであろう。しかし篆書では夫二つの形は「はん」と読み、車に付属する「くびき」の形であるから、ここはあえて「旡」とする必要はない。『干禄』の勇み足、あるいはいじり過ぎである。今の活字は夫二つになっていて、はからずも本家がえりしている。大いに結構。
 區が今は区と略されている。なら品川はメ川と書くかというとそうでもない。ご都合主義で略すのがオカミの仕事らしい。さて『干禄』では駈を「通」、驅が「正」としている。漢和辞典はこれにしたがって「駈」を驅の異体字とするが、『字統』では丘の形のあることに言及していない。このような改変は篆書字形だけでは説明がつかないので、上の「冠」の字形と同様、草書、隷書、楷書での変容を掘り下げる必要があろう。驅の草書体では區のアタマがヘンの最後の左下から引き上げられて始まるので、いいかげんに筆を走らせると「丘」のように見える。草書は隷書と時代をともにしたことを考えると、これが「駈」に変容したのかもしれない。だとすれば異体字ではなく誤字である。
 ツクリの辰については「2 辰宿列張」のところですでに説明した。
 表記の天溪書では「賏(えい)」の下の四点を二点に省略している。このような省略は隷書では積極的に試みられているので、書法的には楷書美学の歴史に跡づけられて然るべきだろうと思う。ただ千字文の手本としては「嬰」と書くほうがよかろう。なおイトヘンは書道では表記のように、下に三点を右上がりに書くのが一般的である。そのほうがツクリになじむ。今の小学校の教科書はイトヘンも「糸」としている。繁、索、素、紫のように下に糸がくる字はそれでよいが、イトヘンは違えるほうが美しい。

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