こほう はっけん かきゅう せんへい
(漢の高祖は功臣に)八縣を封戸し、(徳のある臣下に)千兵を家給した。
「封戸」は領地の知行権を与えること。
「家給」は臣下の家に給することで、代々その給付を受けることができるという恩賞である。
八縣もの知行地を与えられれば、「諸侯」に列するであろう。
宮城の様子に加えて、天子の治についてのべたのである。この場合のいにしえの天子は漢代をイメージするが、梁の時代には漢も理想の時代と考えられていたらしい。
【字形説明】
戸 書では表記のようにヨコ棒の下に尸である。これは活字もそうなっている。しかし旧活字では「斤」の1~2画のように、右上から左下にハラって、尸の左上につける形であった。いまその活字を捜したが出てこないので、まだるっこしくも説明したのであるが、これは篆書が1画目と2画目をつなげているので、『康煕字典』がわざわざそうしたのである。書道史にそう書く例はない。『康煕字典』一辺倒の我が国の漢和辞典は、何でも「康煕字典形」を正字とか本字とか呼ぶのであるが、これなどは要らぬ異体字にすぎない。今の活字がこれを脱したのはラッキー・ヒットである。
ここの八字はこれ以外にコメントはない。珍しい部分である。
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