39 學優登仕 攝軄從政

39 學優登仕 攝軄從政

     がくゆう とうし  せつしょく じゅうせい

 礼の実習において優美であれば官に登用され、職務を分担して政治にあずかることになる。

 『論語』の「仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。(子張第十九-13」)を踏まえている。伝統的な解釈では「学優」を「余力があれば学問し」とするが、意味不明である。私は孔子の時代の「学」とは礼学の実習を意味すると考えており、我々の考える「学問、勉学」とは区別しなければ読み誤ると思う。
 「学」を「学問」とするかぎり「優」とのつながりは「余力があれば」と苦しいスリアワセをせねばならない。礼法の立ち居ふるまいの優美さを身につけることが、孔子教団に課された使命であり、さればこそ旅のさなかにも「学んで時にこれを習う」ことが可能だった。書籍を点検して書かれていることを熟読吟味する学習は後世のイメージを当てはめたに過ぎない。

【字形説明】
 上部の中央を「×二つ」にする形と「与」のようにする形とがあった。『干禄』で「与」形を「俗」とし、「×二つ」を「正」としたので、今の旧活字のようになっている。しかし伏見冲敬氏は与のほうが形がよいし例も多い、と言っている。
 『説文』に「優は饒なり」とあり、これを「あまり」と読んで上記の伝統的な解釈が生まれたのであるが、高田忠周も、白川静も「饒とするは誤り」だと言っている。『説文』が否定された今、「ゆとりがあれば」という解釈も見直されねばならない。『説文』では「憂」の部分を「頁・心・夂」の合字としている。『石経』で頁の下の「ハ」を「冖」とした。なお天溪の書くように、「自」の最後の横棒を一本省く形は楷書ではきわめて普通である。「場」のツクリなどにも多用されている。
 ツクリの耳三つはあまりに煩雑なので、表記のような略形を書く。『干禄』もそうしている。しかし『五経』ではこの省略を「訛(あやまり)」だとする。かたくなな篆書第一主義である。
 古くは表記のように「身(ミヘン)」であった。『五経』で「従身者訛」といい「耳(ミミヘン)」にした。以後職業の職はミミヘンとなった。しかしこの改訂に根拠はあるのであろうか。
 従、またはツクリを「赱」の下部のようにする形が一般的な楷書であったが、『干禄』で從として「从形」にした。『干禄』はよくよく煩雑なものが好みらしい。
 「攵(ぼく)」を表記のように一画に書くのは行書風である。厳密に言えば、楷書なら離して書くほうがよい。

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