37 篤初誠美 慎終宜令

37 篤初誠美 慎終宜令

     とくしょ せいび   しんしゅう ぎれい

 (礼法の)初めは篤くし、誠をもって形よくせよ。終りは慎んで、よろしいというところで終わらせよ。

 礼法の初めと終りの心得を述べている。
 初めは「篤く」というのは「ねんごろに、丁寧に」ということであろう。それには誠意をもって且つ美しいほうがよい。声も姿形も。
 終りは慎重に、気を抜かず善しとなればよい。宜も令も「善い」の意。身近なところでも「よーし、よくやった。」とか「よっしゃ!」という終りかたがある。

 「宜(ぎ)」は適宜、便宜、時宜などの語からもわかるように、ふさわしい良さである。背伸びして無理やり出す良さではない。「令」は命令の令だが、神の意に従うことは善いことだから、「善」の意味に転じ、令閨、令兄、令聞などよい意味に使われている。「宜令」で「よしよし」とうなづくのであろう。

【字形説明】
 楷書では竹カンムリを草カンムリに書く。竹の篆書は「巾」を二つ横並び、これを逆さまにした「屮」二つが草(艸)である。楷書の省略美学ではどちらも「十」二つに集約したのである。『干禄』で、「もと竹カンムリの字」をすべて「竹」に戻した。第、策、答、等、筆、節、箱などなど、初唐まではみな草カンムリでよかった。我々は楷書の基本的なコンセプトのうちの「省略」をもう一度見直す時期に来ている。いたずらに旧(篆書)に復する干禄形が果たして楷書本来の使命であったかどうか。
 字形は羊の全形を表す。下の大は羊の下肢だという(白川)。 従来は「大きな羊」とか、羊の下に火と見て「美味なにおい」などと解釈していたが、素直に羊形だと見てよい。
 真は表記のように書くのが伝統的な楷書の書き方である。活字のように下に点ふたつとしない。『干禄』で「且」の下に点二つにした。ところが『五経』に早くも「眞」の字形が見える(愼)。さらに篆書に近づけてしまったのである。康煕字典はこれを踏襲している。明らかにヤリスギである。この五月に施行された常用漢字表では「補填」の填のツクリをわざわざ「眞」としている(塡)。康煕字典の呪縛から逃れられないのであろう。
 これも伝統的な楷書ではウカンムリではなく、ワカンムリ、上の点をつけないのが普通形であった。『干禄』や『五経』『石経』でさえも点をつけていない。「冝」である。思うに「宣(せん)」との混同を避けたのではなかろうか。表記のように天溪は点をつけているが、ないほうが望ましい。なお「且」の一、二画が下に飛び出ているが、これは筆勢であって出さないでよろしい。
 もとの字形は「冠をつけて神意を拝する神官の姿」。うやうやしく膝まづいて聞いている。それは善いことであるから「善」の意味をあわせ持つ。神意は至上命令でもあるから「命令」の意味にもなる。字の最終画は表記のようにタテ棒にする形と、点にする形の両用がある。「鈴木さん」の鈴を棒にするか点にするかはどちらも可。鈴木さんにおまかせする。棒の場合、最後をハネることは少ないようである。

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