13 弔民伐罪 周發殷湯

13 弔民伐罪 周發殷湯

     ちょうみん ばつざい  しゅうはつ いんとう

(名君のつづき)民を弔(あわれ)んで、(悪王の)罪を討伐したのは、周の武王(名は発)と殷の湯王(名は履)であった。

 夏(か)の桀王は悪政により民を苦しめていた。それを討伐して殷王朝を興したのが湯王である。しかし殷も末期になって紂王になると極悪非道を重ね、それを断罪して周王朝を興したのが武王である。

 夏殷周とようやく歴史年代に近づいてくる。殷墟の発掘で殷代の事情は明らかになってきたが、まだ夏のことは神話の段階である。

 ここも韻を合わせるために歴史的に後の周王を先に出している。「弔」は悪王に殺された人間もいたから「とむらう」でもいいが、「あわれむ」と読んでおこう。

【字形説明】
 旧字形では上を突き出す。このほうがカッコ良いからである。楷書の美的強調であろう。
 旧字形では業の上部のように書く。《※》 『干禄字書』ではそれを俗とし「癶(はつガシラ)」にした。《※》『康煕字典』では右下の「攵(ぼく)」をルマタの「殳(しゅ)」とさらに古形に直した。現旧活字の「發」は、この最後に作られた字形である。しかし「攵(ぼく)」をすべて「殳(しゅ)」にしたかというと、そうではない。政、改、敬、敢、效、散、致などは改変してはいない。なぜ發だけあえてそうするのか、根拠があってしたことではないように思われる。また、今の活字の「発」は単に略したもので字形的な根拠はない。

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