せんりゅう ふそく えんちょう しゅえい
(立派な人は)川の流れが休まないように不断に努力し、澄みきった川の淵のように雑念のない心でおのが自身を見るのである。
「川の流れは絶えずして」のあとには「しかももとの水にあらず」とか、「時はうつろふ」とか、「去るものは追わず」とか、さまざまな警句がつけられるであろう。ここは「不断の努力」を言うと解釈しておく。
そこで対句となる「淵澄取暎」は、やはり「自己反省」を意味するととりたい。澄んだ心で水に映るおのが姿を見ることができるのは人として立派である。我々は自分には甘いものだから。
『論語』の「流水に鑑みることなく止水に鑑みる」の意だとする本があるが、衒学的コジツケだろう。
【字形説明】
流 ツクリのあたまに点がない。これが楷書の一般形であった。『干禄』で点をつけたのである。
不 隷書までは篆書字形のなごりがあったが、楷書に至ってスッキリ四画の字となった。ただし楷書の筆では三画目のあたまを左上に突き出させて一画目の下中央に逆三角の白い部分を作り、古形をにおわせる。そこが楷書のいいところ。三画目はハネてもよく、四画目はハラってもよろしい。
淵 今の活字のような形は余りに篆書字形に忠実で作為的である。原初的な複雑さから美的省略を推し進めたのが楷書であって、この字はさまざまなバリエーションが試みられ、隋の頃から中央が「渕」の中央にあるような形に収束した。(行書はその名残である。)表記のような形は中間形体で、隋の蘇慈墓誌(603年)に見られる形である。
澄 『説文』では「澄」の字形を示さず「澄は澂なり」とするので、書道では「澄は俗、澂が正」と考えて「淵澂」と書く人が多い。日下部鳴鶴も草書だけ「澂」としたり、楷行だけ「澂」としたりユキアタリバッタリなことをしている。白川氏の『字統』では「澄」の篆書形を初めてみだしに出し、漢碑ではみな「澄」を用いている、とし「澄を俗とみなすのは当たらない」とのべている。
暎 ツクリに草カンムリをつけず「映」とすることもある。「央」に盛大の意味があり、日光がふんだんに照るのが「映」、草木が繁茂するのが「暎」であろう。篆書千字文ではみな「映」とするが、『説文』に「暎」が取り上げられていないからであろう。
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