62 府羅将相 路侠槐卿

62 府羅将相 路侠槐卿

     ふら しょうそう  ろきょう かいけい

(宮中には)府つまりトップクラスの役所がつらなり、将軍やら宰相やらをいただいている。
(宮中の)路には槐つまり公や卿という官職をもつそうそうたる官僚がならんでいる。


「府」はトップクラスの役所で、せいぜい五つほどである。となれば府のトップは将軍とか、宰相とかになろう。羅は羅列の羅である。

「路侠(ろきょう)」とは路にひしめいていること。「侠」はところ狭しと居並んでいるわけで、例によって羅列と同意である。

「槐」は「公」という官職のことで、その役所に槐(えんじゅ)の木を植えたので「公」を意味するようになった。公も卿も高級官僚の代名詞である。

【字形説明】
 ヘンは表記の天溪書、または活字のようにタテ棒にチョンチョンが本来の字形。つまり初唐までに省略して完成した字形である。『干禄』でこれを「爿(しょう)」と古形にした。状、荘、牀などみな「爿」となり、「しょうへん」という偏名までついている。
ツクリの寸の上は「タ」もしくは「月」のように中に2点が一般的に併用されていたが、『干禄』で「爫」のように「ノ」と「ツ」にした。
 「足ヘン」は口の下に乚を書いて点々だが、『干禄』では「止」と4画にした。略形を嫌ったのだろう。しかし省略美学は無視された。
 この字は不思議なことに『干禄」ではツクリの「夾」を「俗」としている。したがって「侠」が正。天溪の書く俠は『干禄』ではダメだとされてしまう。「来」を「來」としたのは『康煕字典』なので、同様に「俠、陝、挾」などとしたのは後世の所業であったことがわかる。
 ツクリの「鬼」はもともと上の「ノ」はない。田形である。『康煕字典』で、上のヒッカケをつけるようになった。
 右部は「即」が初唐形。節などと同じである。しかるに『康煕字典」で「白」の下に「ヒ」とするようになった。「皀(きゅう)」の形は『干禄』の序に「既」字にはあるが、「即」にはない。『康煕字典』がややこしくしただけである。

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