きしゅう ふんてん えきしゅう ぐんえい
(その宮殿内に)すでに三皇五帝に関する書物(=墳典)を集め、亦た多くの英才を集めている。
「集」も「聚」も同じ「あつめる」の意。
いにしえの名君・三皇五帝のことを記した書を三墳五典(さんふんごてん)という。書物はあまたあろうが、とりわけ「墳典」といえば高貴な書というイメージである。
宮殿には貴族の子弟から選りすぐった英才がひしめいている。
まあ、その官僚が腐敗して今日の省庁があるので、群英もあやしいものだが、ここの字義はそうなる。
【字形説明】
既 旡(き)部に属し、左は「白とヒ」と書くのが『干禄』の字形。しかし表記の活字のように「既」と書くのが初唐形であった。我が国の旧活字は「白とヒ」で、『康煕字典』に合わせていたが、今は面白いことに初唐形に戻っている。私のような論拠によってそうしたのではなく、略しているうちにあるべき形に落ち着いたのである。結果的にはこれでよい。したがって、天溪の書いた形は正しくなく、現行活字がここではよいということになる。
亦 ここはやや行書風である。楷書としては活字のように書くのが普通。
聚 上部の「取」は初唐形では「耳にく」であった。「又」は「く」と書いたのである。『干禄』でそれを通、又を正としたので、「取」となった。
羣 群と「羊」を左に書いても同じ。『干禄』の序には「羣」としているので、初唐形をそのまま是としていたのであろう。ただしこの形は縦長になって書きにくいことも事実である。
「60 既集墳典 亦聚羣英」の印刷用画面はコチラ
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