32 孝當竭力 忠則盡命

32 孝當竭力 忠則盡命

     こうとう けつりょく  ちゅうそく じんめい

 親孝行にはまさに全力をつくすべきである。忠君には命をかけてはげむのである。

 竭(けつ)も盡も「つくす」という同じ意味に用いられている。竭をクチヘンにすれば「のどが渇いてカラカラになる」ことを表し、サンズイにすれば「水がなくなってやはりカラカラになる」。立ヘンなので「立っていられなくなる、ヘタル」のニュアンスだろう。

 親御さんの介護で腰をやられたという人の話には身をつまされる。「竭力(けつりょく)」そのものである。

 忠君となれば、これはもう命がけである。封建時代は大変だったなあ、などと人ごとのように言わないでもらいたい。天皇陛下のために命を捧げた時代を経験した我々がまだ生きているのだから。

【字形説明】
 現在の略字「当」は草書体から出ているので、まったく不当な省略字ではない。口の第一画と田の第一画をつなげてしまう書き方が楷書にあり、『干禄』では「俗」とするが、そのほうがスッキリする。表記のように分けて書くとまとまりにくい
 「けつ」と読む。サンズイの渇、クチヘンの喝は「かつ」と読む。書道で「渇筆」と言えば「かすれ」のこと。ツクリの上は「曰」(えつ)で日(ひ)ではない。『五経文字』では「曰部(えつぶ)」に入れている。前の31「曰厳與敬」のところで記したように、「えつ」は一画目と二画目とをくっつけないのである。下の「ヒ」となっているところは「人」にL字形を合わせた形もある。(匃の中のように。)『干禄』で篆書字形にあわせて「ヒ」としたのである。
 聿(いつ)と皿(さら)と四点との合字。聿(いつ)は筆のような棒状のものを手に持つ形である。活字ではタテ棒を下に伸ばさないが、表記のように伸ばしたほうが本来の意味を表していることになる。四つの点は白川説では水滴で、皿を水で洗い流し清める意味である。棒状のものは洗浄用具であろう。「洗い終える、汚れをなくす」の意味になる。「説文」の篆書字形では四点を「火」とし、薪の燃え残りを持つ形とするが字形説明はしにくい。「尽」という略字は草書形から出たらしく思われるが、あまり似ていない。



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