56 丙舎傍啓 甲帳對楹

56 丙舎傍啓 甲帳對楹

     へいしゃ ぼうけい こうちょう たいえい

 (宮殿の)第三の殿舎は(正殿の)かたわらに啓(ひら)いており、宝石でできた帳(とばり)が二本の桁柱(けたばしら)の間にかかっている。

 さらに宮殿の第三番目の建物について言及する。「丙」は十干の第三番目にあたる。拝啓の啓の字は「ひらく」と読む。啓発の啓である。

 「甲帳」とは漢の武帝が宝石をちりばめて作った帳(とばり)で、甲、乙と名づけたという故事を踏まえている。

 ここの八字は甲乙丙丁の三つを活かしているところがミソであろう。甲帳乙帳などという名前をよくぞ見つけてきたものだ。



【字形説明】
 もとの字形は器物の台座を形象したもの。(図1)上部の「一」はその台上に置く供物である。
 篆書字形(図2)に忠実に書くと表記のように三角屋根の下は「干と口」とになる。針器が口(さい=祝器)の口を突き破った形。呪術性が破られたことになる。楷書の頃にはこの原義が失われて、「宿舎」の意味となり、「干」の部分が「土」となっていた。従って初唐形では今の活字と同じように「舎」と書いていた。篆書学者の白川先生は楷書にも篆意を生かすべき、という立場に立ち、旧活字形をよしとするが、楷書は楷書の字形であってよく、活字はそれを反映すべき、というのが私の主張である。
 『干禄』はツクリの「旁」を通とし、図3の形を正とする。しかしこの字形は結果的には広まらなかった。この他にも干禄形が認知されなかった字がある。なお天溪は「方」を行書風に書いているが、ここは「方」とするのがよかろう。
 初唐形は「石と又と口」の合字。(図4) 『干禄』は「又」を「攴(ぼく)」とするのを正(図5)としているが、干禄序文では「又」になっている。どちらでもよかったのであろう。
 表記の天溪の書くツクリの字形は初唐形であって「クサカンムリに至」と書く。『干禄』がこれを俗とし、今日の「對」を正とした。篆書字形(図6)に強引に合わせたのである。
 桁柱(けたばしら)である。桁の下に二本あるので、楹(えい)は自ずと二本で1セットである。書では二本で対になる軸を聯軸(れんじく)と呼ぶが、私の書刻作では縦長の額二本を「楹額(えいがく)」と呼ぶ。中国では門を正面から見ると図7のような額の配置が1セットになっていることを知る。この字のツクリの部分はすでに「2 日月盈昃」でふれた。

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