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その門に い出ての後ぞ

その門に い出ての後ぞ 知られける
根を離れたる 草木やはある(西行)
西行課題作は全部で15首を選び、幹事諸氏に委ねたのだが、選歌は西行の山家集から、晩年の釈教歌を取り上げている。この歌は松屋本にのみあり、陽明本、板本にはない。しかし一応西行のものとされている。
西行の花鳥風月の歌は広く取り上げられ、よく知られているが、釈教歌は書人もあまり書いていないようだ。しかし西行が73年の人生の50年間を出家者として過ごした、という事実は動かしがたいことである。若干23才の若さで、地位を捨てて高野山の奥にこもったのである。
この歌の文意は明瞭であるが、用語には難解なところがある。「いでての」というところ、仏門に「入りての」のほうが自然なはず。「いりて」を「いでて」と誤記もしくは誤読した可能性もある。どう解するかは石塚さん次第で、作品は「いでて」をとった。法門に「入った」というより「出家した」という意識が強くあり、それは次の「根を離れた草木などあるだろうか」という言葉によって強調されている。「根」は世間とのしがらみ。いかにそれが強かったかが、思い知らされる、と言っている。釈教歌というよりは、かなり人間的な歌である。すでに歌人、文化人として名をなし、政治の中枢部にもおり、前途洋々たる青年が、世間に執着がなかった、とすれば立派すぎというものである。
ところでこの歌は他の五つの歌と合わせて、地水火風空の五大にあてはめて作られている。この歌はそのうちの「地」にあたるもので、「根」を「地に根ざすもの」と解釈すれば、文意は全く変わってくる。「すべてのものは大地に支えられて、存在あらしめられている。つまり仏の大きな配慮のもとにある。そのことが、仏門に入ってはじめてわかった」となる。西行にはこの創作意図がはっきりあったと思われる。
この歌の面白みは後者の意図の裏に、前者の人間らしさがダブルところにもあるのではないだろうか。
かな 書軸 紙本青墨 55×170
出典 西行
作者 石塚洋子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 00021
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作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/21
