目次:青渓会 会員
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傳光小雲邊落点残
光を傳うること小に雲邊落点残る(杜甫)
作者 小池千代子
行書 書刻 タモ板 彫込 20×87
出典 杜甫「夕烽」
番号 会00084
小さな光が遠くにある。夕方の雲のかかっているあたりにポツンと灯って何かを伝えている。
杜甫のこの詩では「烽火(のろし)」の火で、その光が何らかの情報を伝えているのであろう。夕暮れの景観に灯る光は小さいがゆえに印象深い。希望の光であれば望みがある。
この作品は今年の第63回「中央区書道展」で「区長賞」に輝いた。
書道と書刻をはじめてもう10年になる。10作以上は作ったであろう。その積み重ねが実ったのである。
タモという板は北方に産する木で、堅くて丈夫だが彫りにくい板ではない。どちらかというと素直な木目(きめ)なので、中級者は大いに手がけるとよい。
これは表面を少しオイルステンで色づけしている。下方が黒いのは写真のライティングが当っていないための光ムラである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/10/29 上に戻る
湖月林風相與清
湖月林風 相與(とも)に清し 残樽 馬より下りて復た同(とも)に傾けん
久しく野鶴(やかく)の双鬢の如くなるにまかす
遮莫(さもあらばあれ)隣鶏(りんけい)の五更を下るを(杜甫)
作者 出口和雄
楷書 半切 紙本濃墨 46×187/34×112
出典 杜甫 七言絶句
番号 会00083
「久」と「野」の間にある字は「まかす」と読む。パソコンでは出てこない。
この作品は昨日終了した第63回中央区書道展で「会長賞」に輝いた。長年にわたって地道な努力を積み重ねてきた成果。
「遮莫」は漢文独特のイデオムで「さもあらばあれ」と読み下す。どうにでもなれ、あとは知ったことか、勝手にせい、というニュアンス。最近はトンと耳にしない言葉になった。私などはときどき使う。この間も傘をどこかに忘れてきて一向に思いあたらない。ボケてきたと思うとシャクである。「さもあらばあれ俺の傘」と、ウサを晴らした次第。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/10/10 上に戻る
林下水声
林下水声(りんかすいせい)
作者 中田良子
篆書 書刻 小額 タモ板 浮出彫
銀箔押 20×28
制作 2002
番号 会00082
林の下に水が流れているのであろう。どこかに水の音がする。地色は古代朱であるが、日本画の顔料は店によって名前が違うので、この色も赤茶の名前がついているかもしれない。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/07/30 上に戻る
国華朱肉房
国華朱肉房
作者 中村行則
篆書 書刻 看板 桂板 浮出彫 金箔押
20×80
制作 2006
番号 会00081
作者の中村さんは印肉の製作者である。近年では中国の印肉ばかり出回っているが、実は日本にも伝統的な印肉の製法が伝わっており、彼はその唯一の伝統継承者である。
中国の印肉は朱に「モグサ」を加えて作るが、日本ではやわらかい和紙になじむように「ちぐさ」を練りこむ。これはタンポポに似た黄色い花で、その咲きおわりの白い綿毛を採取するのである。栽培できない花なので、毎年春になると家族総出で各地を採取して廻る。山ほど取っても柔毛はほんの少ししかとれない。こうして練りこまれた朱肉を「国華朱肉」といい、古くは平安期にさかのぼるらしい。その工房にかける看板なので「国華朱肉房」とした。
彼の店は東京、東麻布の商店街の真ん中にある。もちろん購入できるのでぜひ。
上がチグサの写真。よく道路のわきに咲いています。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/07/24 上に戻る
百歳多時一壮健
百歳は多時なるも一(いつ)に壮健
作者 S孃
隷書 紙本濃墨 半切1/4
33×94/18×70
出典 白居易
制作 2011 6月
番号 会00080
「歳」は年に同じ。「一」は副詞で「いつニ」と読み下して「もっぱら」「ひたすら」の意。
百年は時間としては多いけれど、もっぱら壮健であることが望ましい。これ一つに集約したい。
白居易の詩に「百歳も多時 壮健なる無し」(対酒五首の五)とある。これをヒネって「無」を「一」に換えた。だから厳密に言えば白居易の出典ではなく白居易のモジリである。こんなヒネリも漢詩を知る者には粋な遊びとなる。
作者は二十をこえたばかり。天溪隷書手本(1)を終了して、その仕上げに一作をものにした。次は篆書教本(1)に挑戦したい、となかなか壮健である。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/06/30 上に戻る
観海
海を観る
作者 中田良子
篆書 書刻 ヒノキ板 薬研彫 20×30
制作 2005
番号 会00079
「観」という字がギョロリと目をむいて、思わずギョッとする作品だ。文字を薬研彫りでV字カットして彫り込んでいるので、光線の当たり方で、凹凸が逆転して見えたりする。板いっぱいに彫って迫力があり、自分で作ったくせに、「壁にかけていて、このあいだは振り向いたら目が合って思わずびくりした」と語っていた。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/06/25 上に戻る
聖書「創世記」
作者 黒田 絢
聯額 青紙銀泥 32×76/25×69
出典 漢文聖書「創世記」
制作 2011
番号 会00078
これは写経である。ただし仏典ではなく聖書である。仏典がインドの言葉の翻訳だから、これは聖書の中国語訳ということになる。
この漢文聖書は、まだ聖書の日本語訳ができる以前は、みなこれに従っていた。これに訓とカエリ点を施した「訓点聖書」は日本のキリスト教信者の準バイブルと言えるほどであった。
西欧には写経がないわけでもなかったが、僧院の奥にひっそりと存在して、信者の寄進という「受け入れシステム」はなかった。それに対して、日本や中国には「写経」というシステムが実在し、今もって薬師寺再建資金の調達には「写経」を受け入れて資金を集めるという奇想天外な役目を果たしている。
作者は四国徳島・石井教会の前牧師夫人で、ここは賀川豊彦の活動の本拠地でもある。天地創造の初日から七日までを書いている。
この作品は徳島県海部郡海陽町宍喰浦字宍喰303-4「宍喰教会」に飾ってある。書が教会の壁面の一角にあるなんて、すばらしいことではありませんか。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/05/21 上に戻る
極楽浄土
極楽浄土
作者 塚田基八郎
篆書 書刻 桂板 浮出彫 金箔押 20×80
制作 2002
番号 会00077
文字通り「極楽浄土」とは最高の境地である。この額を部屋にかければ即その部屋が浄土世界になる。これに越したことはない。理想郷の極致だろう。
地模様のサライがきれいに整っている。緑と金の取り合わせが美しい。
緑の下地は銀である。カシュー塗料の銀を使用している。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/03/27 上に戻る
匠育家
匠(たくみ)家を育む
作者 塚田基八郎
篆書 書刻 檜板 浮出彫 金箔押
18×53
制作 2002
番号 会00076
作者は大工さん。手造りで家を建てていた棟梁の最後の世代の人。80歳を越えたので私のお弟子さんの中では最年長ということになる。というよりこの人は父天溪の謡の友人であった。月島に住んで、父の作品の板は塚田さんの手配になったものも多い。
さて塚田さんの仕事を見ていると、年取った一人暮らしのおばあさんのために階段に手摺りをとりつけ、段差をなくすなど細かいところの手入れをしてあげている。本来の大工さんは家を建てるだけでなく、家人の成長、老化に合わせて、家を育んでいるのである。思うに、最近の工事屋は道路を「造りっぱなし」で育もうともしない。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/03/10 上に戻る
千里鶯啼緑映紅
千里鶯啼いて緑紅に映ず(杜牧)
作者 高倉朋溪
隷書 書刻 檜板 彫込 24×94
出典 杜牧
制作 2000
番号 会00075
文字に入れた色は「草鶯」という。2002年の第21回青溪会展に出品。作品としてはそれより前の2000年9月に完成している。ヒノキの白木に彫り込んだもので、腰痛をこらえての彫りは基本に忠実な正攻法。
高倉さんは今より60年も前に岡村天溪に入門。(当時は20代のうら若き乙女)。 専ら行書に励んだ。というより天溪は彼女には行書しか教えなかった。私の代になって隷書も篆書も解禁したが、基本が叩き込まれているので、難なく対応しえた。五体のうちの一つを究めれば、他の書体にも充分対応しうる、という見本である。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/03/06 上に戻る