目次:青渓会 会員
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104 鶯の あちこちとするや 小家がち
作者 伊勢佳恵
かな 条幅 料紙濃墨 36×130/26×67(半切1/2)
出典 与謝蕪村
制作 2014 66回中央区書道展 連盟奨励賞
番号 会00104
うぐひすの あちこちとするや 小家かち(蕪村4)
入門4年目の作。はじめて「料紙」に書き、「布の表具」もこれが最初である。
このように、初心者は大きく腕を回転させて「おおらかに書く稽古」を身につけることが上達の秘訣であり、王道である。「いろは単体」をしっかり学び、二字の連綿から次第にかなの世界に入り、五七五の俳句十七字をひとつ仕上げると、ようやくお習字と文学とが結びついて、書くことが楽しくなってくる。全くの初心者が少しずつ「サマになってゆく」のを見るのはこちらとしても楽しみなものである。
変体仮名は「す(春)」「の(能)」「ち(知)」の三つ。
このあと収録する4作(105~108)はいずれも同期生の作品で、同じテーマを課した。これからお習字をはじめたい人には参考になろうかと思う。
作者 : 4.会員
掲載 : 2015/01/09 上に戻る
103 世の中に 絶えて桜のなかりせば
作者 野呂純子
かな 条幅 全懐紙濃墨 52×112/49×36
出典 古今集53、伊勢物語82段
制作 2014 66回中央区書道展
番号 会00104
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(古今53)
散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき(業平、伊勢82)
桜の歌二首。あまたある桜の歌の中で、作者が選んだのはナナメに構えた見かたである。もっともはじめの歌も桜の美を否定しているわけではなく、桜によって春の心が落ち着かず撹乱されることを言っているので、「誉め殺し」のようなものである。今だに四月も近づくと、開花時期がとかくやかましい。だもの、このヘソ曲がりも古今の頃からのわが国の伝統だろう。
二首目は「散る桜の美学」である。はかなく滅びるものに愛惜の情を持つ。この憂き世に久しいものがどこにあろう、とはかなり「はかなんで」いる。早く滅びた方が老残をさらすより美しい。「美人薄命」。どこかの新聞の社長のように、いつまでも地位にしがみつくのは見苦しい。
さまざまな見かたがある。書はこんな部分を切り取って、あなたは? と問題提起するという非日常的な効用がある。これが客間に飾られていれば、座談に花が咲こうというもの。
作者 : 4.会員
掲載 : 2015/01/09 上に戻る
102 あふみのうみ 夕波千鳥
作者 的場優子
かな 条幅 半懐紙2枚濃墨 61×97/49×35
出典 万葉集 柿本人麻呂
制作 2014 66回中央区書道展
番号 会00102
淡海の湖(み) 夕波千鳥 汝が鳴けば こころもしぬに いにしへ思ほゆ(266)
印南野(いなびぬ)も 行き過ぎかてに 思へれば 心恋しき 可古の川口(みなと) 見ゆ(253)
人麻呂の歌二首。右から左に下げながら、最後の七字を上に上げて、全体をV字形にまとめた。かなの散らしの面白さも難しさもここにある。「行き過ぎがてに」を上に伸ばして、全体のバランスを取ったところが工夫というもの。
歌について言えば、有名な「あふみのみ」は万葉本文では「淡海の海」と記し「あふみのうみ」とも読める。ここは「近江の琵琶湖」であるから「湖(み)」と漢字化した。
二首目の「印南野」は「稲日野」とも書く。「いなみ」とも「いなび」とも読む。播磨の国「印南郡」の地名であるから、どちらでもよいだろう。
漢字化に際しては一応調べて、どちらを採用するか考える必要がある。どこかに出ている歌を孫引きして平気でいると、足もとをすくわれることもある。著者がうろ覚えで書いたものがよくあるからだ。書の書き手としては信頼できる校訂本を見て出典を確かめるのが作者に対するマナーというもの。
「みなと」は通常「川口」と漢字化され「みと」と読むか「みなと」と読むかは学者によって見解が違う。「可古之湖見」とする伝本はひとつだけである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2015/01/09 上に戻る
101 芭蕉葉上無愁雨
芭蕉葉上に愁雨無し
作者 野呂マリ子
行書 書刻 イチイ板 平彫 胡粉
10×77
出典 禅林句集
制作 2014 66回中央区書道展
この板はイチイ(一位)で、高級材である。きめが細かくしっとりとした感触で彫りやすい。板には何も塗らず、自然に任せれば、油が出てもう少し艶のあるアメ色になるであろう。
「愁雨」とは愁いを帯びた雨、という素人好みの言葉だが、そんなけはいは微塵にもない、というスッキリした言葉である。同じものでも心のあり方によって、違って見える。しかし、芭蕉の葉上には愁雨などはもとからないのだ。
「平彫りは小さい板に沢山細い字をかいたから、大変でした。」とは作者の弁だが、実際は3回ほど青溪書苑に来て彫っただけなのである。彫りの腕も上がってきた証拠だろう。
作者 : 4.会員
掲載 : 2014/10/16 上に戻る
100 萬物齊同
萬物齊(すべ)て同じ
作者 神田睦則
書刻 篆書(金文) 桂板
浮出彫 金箔押 緑青
17×44
出典 荘子
制作 2013
番号 会00100
「齊」は「ひとしい、すべて」の意。「国歌斉唱」とは皆いっせいに歌うこと。
かなり厚い桂板である。厚さは6センチはあろうか。古い碁盤を切り出して材としたという。
ご覧のように第65回中央区書道展(2013)で会長賞を獲得した。出品して10年目であった。
この作品ギャラリー「会員の部」は00001番の神田さんの作から始まっている。これがちょうど100番になったわけである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2014/03/20 上に戻る
99 岑参兄弟皆好奇
岑参(しんさん)兄弟皆奇を好む
我を携えて遠く来たって渼陂(びは)に遊ぶ
天地 黤惨(あんさん)として忽(たちま)ち色を異にす
波濤 萬頃(ばんけい) 瑠璃(るり)堆(うずたか)し(杜甫)
作者 S孃
楷書 書額 紙本濃墨 35×93
出典 杜甫「渼陂行」
制作 2013
番号 会00099
半切2/3の大きさ。詩はもっと長く続くが、冒頭の七言四句。岑参兄弟と渼陂に水遊びしたときの様子。
落ち着いた楷書でしっかり書けている。第65回中央区書道展(2013)で連盟賞に輝いた。
作者 : 4.会員
掲載 : 2014/03/20 上に戻る
98 松に懸りて咲く藤の
松に懸りて咲く藤の薄紫の雲の羽(謡曲「藤」)
作者 高橋桃子 高1
行書 砂子紙濃墨 10×15(はがき)
制作 2013
番号 会00098
桃子も今年高校生になったので、もう「キッズ」ではなく一般会員の部に参入することになる。最年少である。
そろそろ行書になじんでおく必要があるので、手始めに小さいものから筆の動かし方を覚えるようにしている。
作者 : 4.会員
掲載 : 2013/07/12 上に戻る
97 山花
山花(さんが)
作者 高倉朋溪
行書 陶板 額 呉須 15×15
焼成 八王子焼窯元 工藤孝生
制作 2002
番号 会00097
素焼きの粘土板に直接字入れをするということがどういうものなのか、書いておこう。呉須(ごす)という陶芸独自の絵具は鼠色でドロドロしている。常に親しんでいる墨とは勝手がおおいに違う。しかも板は吸取紙みたいに瞬時に絵具を吸い込むので、モタモタしていると収筆はカスレてしまう。筆を抜くときには墨だまりができるが、これが大きな黒い点になって予想外の字づらになる。焼き上がってみなければその効果がわからない。まるで手探りの状況下で、冷静、沈着にことを運ばねばならない。
これはその絵具の「のり」が濃くもなく薄くもなく、カスレもせずボタ点もできず絶妙である。よほどの経験を積まねばこのような具合には行かない。絵具は重く沈むので、うわずみ液で書くと色が出ないし、乳鉢でかき回しすぎるとドロドロになる。攪拌の頃合いがとても難しい。しかも二字のハマリ、線の太さがドンピシャである。焼成もベストである。運が悪いと窯のなかで割れたりすることもあるからである。ということで、これは高倉さんの名作である。
作者 : 4.会員
掲載 : 2013/06/03 上に戻る
96 仲由(ちゅうゆう)
作者 藤野翠江
楷書 書刻 小額 朴板 浮出彫 金箔押 地色紫鼠 44×16
制作 2013年4月
番号 会00096
今年の新年早々書刻を習いに書苑を訪れた直子さんの第一作。書は柳田門下で心得があるので、単純に彫りだけを指導。
初心者にはまずホウ(朴)の板を使い、段階を追って着実な仕事の進め方を優先。週一回のレッスンで二ヶ月ちょっとかかった。(2/1に彫りはじめ本日4/12に完成。)地色は自分で水干絵具を調達し、シックな作品に仕上がった。地色が地味でも金箔の迫力によってわずかな紫色が引き立つものである。仲由(ちゅうゆう)は祖父の名にちなんだ。
作者 : 4.会員
掲載 : 2013/04/12 上に戻る
95 花鳥皆知己
花鳥皆己れを知る(戴叔倫)
作者 蒲田令望
出典 戴叔倫(たいしゅくりん)
書刻 サワラ板 彫込 文字色白緑 11×83
制作 2013年3月
番号 会00095
両側の皮を剥いだ部分を残して自然な板に草書がしっくりと合っている。左中央部の節のふくらみがアクセントとなって、やや破調であるところがシャレている。片流れ風の彫りだが、近く寄って見れば後筆優先になっており、さりげなく筆順を示している。「皆」という草書体は読みにくいが、これが正体である。サワラという木は山で立木を見ただけではヒノキと全く区別がつかない。木肌がヒノキほど荒くない、と言われてもよくわからない。ただ板にすると独特の香りがない。水に強いので風呂桶などに用いられる良材である。
戴叔倫の「山花水鳥皆知己」の「山」と「水」を省いた。花鳥はみな己れを知り分をわきまえているが、人間だけは傲慢にも原発を作りそれにまだ依存しようとしている。お恥ずかしい限りである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2013/03/21 上に戻る