目次:青渓会 会員
前の10作
前の20作
前の30作
前の40作
前の50作
前の60作
前の70作
前の80作
前の90作
前の100作
前の110作
前の120作
前の130作
前の140作
巨勢山(こせやま)のつらつら椿
≪万葉二首≫
巨勢山の つらつら椿 つらつらに
見つつ思(しの)ばな 巨勢の春野を(坂門人足)
来むといふも 来ぬときあるを 来じといふを
来むとは待たじ 来じといふものを(読人不詳)
言葉遊びで有名な和歌。同音の繰り返しが快いリズムをきざむが、書くとなると同じ字が並んで書きにくいことおびただしい。そこで「変体がな」のリリーフとなる。変体がなのありがたさを知ると、今度は字形の異なる組み合わせに苦労することとなる。かな書を手がける人は必ずこのような課題に挑戦し、悪戦苦闘することになっている。(例えば万葉27よきひとの、2640あづさゆみ、なども有名)。
54の歌には詞書きがあり、坂門人足(さかとのひとたり)とわかる。和歌の伝統に従って、まず「ひとたり」と書くことができるが、527の歌のほうは記載がないからそのまま歌を書き始めている。二首の整合性はないけれど已むをえない。
かな 書軸 紙本濃墨 60×120
出典 万葉集(54、527)
作者 渡辺郁子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 00024
大きな画像l
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/10/03 上に戻る
竹径 幽処に通ず
竹径 幽処に通ず(常建)
「径」は「まっすぐな小道」をいう。曲がりくねる道ではないので「近道」である。どこに通じているかというと「幽なる処」である。
その「幽」であるが幺(よう)が二つで「糸たば」を表わす。下側は「山」のように見えるが、卜文や金文では「火」の形になっている。糸束を火に薫じて黒くなったものが原意である。「暗いところ、深いところ」「幽玄な趣」と解せる。
竹にも「まっすぐ」のイメージがあり、「まっすぐに、迷うことなく幽遠をめざす」という筆者の気持ちがこめられたものであろう。その思いは幽の原義とは逆に暗くなく、赤々と燃えている。
篆書 書刻 楹額 ケヤキ板 平彫
朱 25×100
出典 常建
作者 町田由溪
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00023
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/09/28 上に戻る
谷川のにごれる底を
谷川のにごれる底を澄ましつつ
をし照る波に流しいでつる(西行)
歌意は「川底を清めながら、輝く波とともに汚濁を流し去ってしまう」ということで、石塚作品(番号 会00021)と同様、西行の出家の感慨だろう。川の浄化作用を「をしてる波」の輝くイメージで勢いづかせている。やはりどこか悲壮な覚悟がにじみ出ている。
現代の河川の汚染とは違って、自然の浄化作用なのだから、それが「仏のはからい」であるという結論に説得力があるが、今ではそうはゆくまい。
かな 書軸 紙本青墨 55×170
出典 西行
作者 野呂純子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00022
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/09/21 上に戻る
その門に い出ての後ぞ
その門に い出ての後ぞ 知られける
根を離れたる 草木やはある(西行)
西行課題作は全部で15首を選び、幹事諸氏に委ねたのだが、選歌は西行の山家集から、晩年の釈教歌を取り上げている。この歌は松屋本にのみあり、陽明本、板本にはない。しかし一応西行のものとされている。
西行の花鳥風月の歌は広く取り上げられ、よく知られているが、釈教歌は書人もあまり書いていないようだ。しかし西行が73年の人生の50年間を出家者として過ごした、という事実は動かしがたいことである。若干23才の若さで、地位を捨てて高野山の奥にこもったのである。
この歌の文意は明瞭であるが、用語には難解なところがある。「いでての」というところ、仏門に「入りての」のほうが自然なはず。「いりて」を「いでて」と誤記もしくは誤読した可能性もある。どう解するかは石塚さん次第で、作品は「いでて」をとった。法門に「入った」というより「出家した」という意識が強くあり、それは次の「根を離れた草木などあるだろうか」という言葉によって強調されている。「根」は世間とのしがらみ。いかにそれが強かったかが、思い知らされる、と言っている。釈教歌というよりは、かなり人間的な歌である。すでに歌人、文化人として名をなし、政治の中枢部にもおり、前途洋々たる青年が、世間に執着がなかった、とすれば立派すぎというものである。
ところでこの歌は他の五つの歌と合わせて、地水火風空の五大にあてはめて作られている。この歌はそのうちの「地」にあたるもので、「根」を「地に根ざすもの」と解釈すれば、文意は全く変わってくる。「すべてのものは大地に支えられて、存在あらしめられている。つまり仏の大きな配慮のもとにある。そのことが、仏門に入ってはじめてわかった」となる。西行にはこの創作意図がはっきりあったと思われる。
この歌の面白みは後者の意図の裏に、前者の人間らしさがダブルところにもあるのではないだろうか。
かな 書軸 紙本青墨 55×170
出典 西行
作者 石塚洋子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 00021
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/21 上に戻る
古き木の 根をも何かは
古き木の 根をも何かは 思ふべき そこに通れる 風にまかせて(西行)
1998年(第20回青溪会展)では仮名部門、漢字部門の幹事に課題を与えた。仮名は西行の歌を一首。与えられた歌を各自が文字の選別、散らし、用紙、表装等々工夫をこらす。
この紙はシワが寄っているのではなく、撚れ模様である。枯れた古木に通う風を意識している。
かな 書額 撚れ紙 95×50
出典 西行
作者 杉山明子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 00020
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/15 上に戻る
吉野山 こぞのしほりの
吉野山 こぞのしほりの 道かへて まだ見ぬ方の 花をたづねむ(西行)
1998年の青溪会20回展は「天溪七回忌」にあたり、仮名部門の幹事諸氏には「西行の歌」を課題とした。
中央からはじまり、右下段「花をたづねむ」へと散らしている。西行の好きだった「花」をこの位置に据えたのである。このような布置は伝統として定着しており、王朝時代の女性の感性がビビッドだったあかしといえよう。
かな 書軸 青墨 60×120
出典 西行
作者 杉浦和子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00019
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/15 上に戻る
ひそみきて たがうつかねぞ
ひそみきて たがうつかねぞ さよふけて
ほとけもゆめに いりたまふころ(会津八一)
歌人としては秋艸道人とすべきかもしれない。こんな真夜中に何を祈っているのだろうか。「ひそみきて」にミステリアスな響きがある。
かな 書額 半懐紙 45×50
出典 会津八一
作者 野呂純子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00018
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/15 上に戻る
壽を脩む
壽を脩(おさ)む
壽は「命の長いこと」、脩は「おさめる」。天寿を全うすることにほかならぬ。脩には「長い、遠い」の意味もあって、「いのちながし」と訓ずることもできよう。
我が国は平均寿命では世界のトップクラスにあるらしい。余命で数えるともっと長くなるそうだ。長いだけではなく健康で長くありたい。いや、一病息災で90まで生きている人もある。おそらく脩(おさ)めに脩めなければできることではない。
隷書 陶板 弁柄 20×25
作者 町田由溪
焼成 八王子焼窯元 工藤孝生
撮影 岡村
番号 会00017
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/15 上に戻る
その子はたち
その子はたち 櫛にながるゝ 黒髪の
おごりの春の 美しきかな(与謝野晶子)
杉の流れるような木目が清々しい。文字には群青(ぐんじょう)の水干絵具を入れた。青は若いという意味がある。(青春の青がそれである。)「おごりの春」がこの歌の主題だが、改段して次段のトップ(右)に「春」を配した。ここに散らしの工夫がある。 かなではこれは大作に属する。与謝野晶子の絶唱。何度読んでもいい歌だ。
「はたちのときに中央区書道展に出したのがこの歌だったのよ」とウン年あとの作者が教えてくれた。
かな 書額 書刻 杉板 彫込 群青
50×110
出典 与謝野晶子
筆者 石塚洋子
制作 1998
刻者 岡村大
番号 会00016
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/01 上に戻る
水深く魚楽しみを極む
水深く魚楽しみを極む(杜甫)
やわらかい行書もいいが、このようにカッキリした行書も重みがあってすばらしい。
天溪に師事して40年以上ひたすら楷書だけを研鑽し、行書や隷書は習わなかった。しかしこの作を見ると、「楷書がすべての基本」といわれる所以がよくわかる。
行書 楹額 書刻 カツラ板 彫込
群青研出 35×125
出典 杜甫「秋野五首」の二
作者 齋藤松溪
番号 会00015
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/07/25 上に戻る