目次:青渓会 会員
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秋夜長
秋夜長し(白居易)
ヒノキの板に三字。白い肌に群青の色が冴えている。
板に書を彫るには、文字部分を掘り込むものと、浮出すものとの二通りがある。「凹彫り」「凸彫り」と書いている本があるが、凹凸は製版上の言葉で、印刷の版面のこと。日本の木彫にこんな用語の伝統はない。刷るための凹ではないのだから、「文字彫り込み」というべきだろう。文字を扱う人なら漢字には敏感であってほしいと思う。
さてこれは「文字彫り込み」の「峰彫り」である。文字の中央に三角の峰ができ、そのとがらせ方や、残し方によって、書刻の初心者でも面白い作品に仕上がる。技法的には「打ち込み」と「ハツリ」だけ。単純でありながら、表情豊かで奥が深い。
行書 書刻 額 ヒノキ板 彫込 峰彫 23×48
出典 白居易
作者 森 金星
制作 2003
番号 会00034
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/03/12 上に戻る
時雨
時雨(しぐれ)
秋田杉の木目が美しい。その中に陶板を埋め込んで、さらりと二字、時雨(しぐれ)。粋なあそび心がうれしい。
作者である森久代さんは天溪のお弟子。茶道、華道の先生として、ここ青溪書苑でも華道教室を担当してもらったが、先年惜しくも急逝された。書も巧みで伝統文化を体現している稀有な存在であった。私の個展や青溪会展では、着物姿に背筋を伸ばして受付をされている姿をごらんになった方も多かろう。書の楽しみ方、使い方をよくわきまえて勉強される彼女の取り組みは、青溪会の手本であった。
森さんを偲んで彼女の作品を続けてご紹介する。
行書 陶板 古代呉須 25×8
作者 森 久代(雅号:金星)
焼成 八王子焼窯元:工藤孝生
制作 2005(青溪会書刻展出品作)
番号 会00033
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/03/06 上に戻る
古木無人徑 深山何処鐘
古木 人徑(じんけい)無し
深山 何処(いずく)の鐘ぞ(王維)
読んで字のごとく、わかりやすい。字も楷書だからわかりやすい。最近の書展は「わかりにくく」なった。読めないものを「これでもか」と繰り広げるので、ますます書道ばなれを加速している。まともなことをひたむきに見せることに勇気が要る時代になった。
楷書は作者の姿勢がおのずと表れる。これがやっぱり書の基本で、一生の課題ではないのか。
楷書 書軸 紙本濃墨 50×100
出典 王維
作者 町田由溪
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00032
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/03/05 上に戻る
石林精舎 武溪東・・・
石林の精舎(しょうじゃ) 武溪の東
夜に禅扉を叩いて遠公に謁す
月は上方に在りて諸品(しょほん)静かに
僧は半偈(はんげ)を持して萬縁(ばんえん)空し(郎士元)
このサイズを「全紙の半分」という意味で「半切(はんせつ)」という。紙によって多少の違いがあるが、大体35×140くらいのサイズである。軸装にすると、この周囲に布がつくので幅、上下とも大きくなる。半切は書道の基本単位。絵画では「1号いくら」というが、書では「半切一本いくら」となる。
それはさておき、これは七言絶句(7字4行の28文字)。半切に3行書きをして落款が入り、ちょうどよい収まりである。
字は行草書。ところどころ行書を交えて「読みやすく」している。品のあるおだやかな筆致がすばらしい。
行草書 書軸 紙本濃墨 半切
出典 郎士元
作者 高倉朋溪
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00031
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/03/01 上に戻る
空山不見人 但聞人語響・・・
空山人を見ず
但だ人語の響きを聞く
返景深林に入り
復た青苔の上を照らす(王維)
王維の有名な詩。書を手習う人が一度は試みる五言絶句である。
この詩は映画的であって、光の筋をずっとたどって林に入って行くと、真っ青な苔に行き着く。ズームインして視野いっぱいに苔の緑があふれる、という具合である。「何やら人の声がするな」という冒頭の振りは見事にはぐらかされ、ひとけのない世界にいざなわれてしまう。
草書 書軸 紙本濃墨
出典 王維
作者 齋藤松溪
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00030
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/02/22 上に戻る
白雲の ならびのおかの
白雲の ならびのをかの やどこそあれ
花のあるじの 春はかはらず(為家)
「ならびのをか」は「双びの丘」で、京都には「双ヶ丘」という地名が今もあるらしい。第16回青溪会展出品作。(1988) この時の展覧会の課題は「詞花(しいか)和歌集」の「花」の和歌であった。
作者は長く天溪に師事したベテラン。青溪会の重要メンバーだが、初期の写真が少ないので少し残念。主としてデジカメ時代になってから作品写真が集まっているので、会員作品にもやや制約が出てしまう。
かな 書軸 紙本濃墨 60×120
作者 沖成裕子
出典 藤原為家(詞花和歌集)※作者に聞いて補足しました。
撮影 タカヒコ
番号 会00029
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/12/14 上に戻る
いみじう生ひさき見えて
いみじう生ひさき見えて美しげなる形なり
髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして
顔はいとあかくすりなして(源氏物語・若紫)
おなじみ「源氏物語」の若紫登場のくだり。
話は飛ぶが「アンナ・カレーニナ」などもアンナが登場すると、俄然物語が精彩を帯びてくる。だからこの大作を読むには「はじめの50ページを我慢せよ」と教えてくれた先輩がいた。「源氏」もこの若紫の登場で俄然面白くなる、と私は思っている。
かな 書軸茶掛 紙本濃墨 60×120
出典 源氏物語「若紫」
作者 長崎愛子
撮影 ストゥディオ・キャトル
番号 会00028
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/11/28 上に戻る
にきたづに
にきたづ(熟田津)に 舟のりせむと 月待てば
潮もかなひぬ いまは漕ぎいでな(万葉・額田王)
有名な額田王(ぬかだのおおきみ)の歌。
作者は一貫して万葉集ひとすじ。カルチャーにも積極的に参加して、万葉集の研究を生きがいにしている。こうした腰のすわった書道は奥行きがあり、見習いたいものだ。
かな 書軸 紙本濃墨 50×120
出典 万葉集・額田王(巻1-8)
作者 吉川澄子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00027
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/11/13 上に戻る
人更ねて少き時無し 須らく惜しむべし
人更(かさ)ねて少(わか)き時無し
須らく惜しむべし(和漢朗詠・野)
「更」は「かさねて」と読み慣わしているが、「更に・・・なし」と打ち消しの語を伴って強めているとも読める。
また「更」は動詞の「経る」の意味もあり、「不更事」は「事をへず」(経験を積んでいない)の意味となる。「人更」を「人ふれば」と読んでみよう。
「ひとは歳をかさねれば、もう若いときはないのだ。須らく(今を)惜しむべし」となり、若者に言う言葉というよりは、年寄りへの、なかなか含蓄のある言葉となる。ただの強めの意味よりは面白い。「かさねて」という和漢朗詠の読みは、そういう気持ちをこめたものだろう。
行書 書額 紙本濃墨 36×94
出典 和漢朗詠集47(野は小野篁の通称)
作者 黒田 絢
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00026
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/11/09 上に戻る
奥の細道 十句
奥の細道 十句
草の戸もすみかはる代ぞひなの家(以下九句略)
短冊を10枚。奥の細道の始めと終わりの句をはさんで、お気に入りの句をあいだに置いた。初心者は、このように一つずつ書き上げては次に進み、十くらいまとまったら一段落して軸にしておくとよい。なにごとに於いても、おけいこは段落が必要だ。のんべんだらりとやっているより確実に進歩する。厳しい顔をして一区切りさせない先生は怠惰な先生だと思ってよろしい。ひと節ごとに腕を上げてゆく弟子に不親切なのだから。
かな 書軸 短冊づくし 90×65
出典 芭蕉「奥の細道」
作者 臼田麗子
撮影 タカヒコ
番号 会00025
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作者 : 4.会員
掲載 : 2008/10/24 上に戻る