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池水の

池水の よよに久しく すみぬれば
そこの たまもも 光みえけり(伊勢大輔)(新古今723)
作者 杉山明子
かな 書軸 半懐紙 47×110/35×24
出典 新古今 伊瀬大輔723
制作 2011
番号 会00089
同じく杉山さんの作。「代々に久しく澄みぬれば底の玉藻も」と漢字を補えば、歌意はわかりやすい。
池の水の澄明感が水底の玉藻の光にまで及んで、言葉によどみがない。こういう池にたたずみたいものである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2012/01/13 上に戻る
咲きそめし 宿しかはれば

咲きそめし 宿しかはれば 花菊の
色さへにこそ うつろひにけり(貫之)
作者 杉山明子
かな 書額 紙本濃墨 38×47/25×34
出典 古今 紀貫之
制作 2011
番号 会00088
メリハリのバランスがとれた良い作品である。用紙の縁に金腺がついているが、これは「幅輪」と言って裏打ちの際に注文するのである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/11/24 上に戻る
岩そそぐ 垂水のうへの

岩そそぐ 垂水の上の さ蕨の
もえいづる春に なりにけるかも(新古今32)
作者 宇田川明子
かな 書軸 半懐紙
出典 新古今32
制作 2002
番号 会00087
「岩そそぐ」は新古今での読み。万葉集(万葉8-1418)では「岩激」あるいは「岩灑」(類聚古集)とあり、「いはばしる」の読みである。有名な志貴皇子の春の到来を歌ったもの。これは第21回青溪会展に出品した。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/11/17 上に戻る
貧賤之知不可忘

貧賤之知 忘るべからず(宋弘)
作者 西脇茂雄
篆書 書刻 扁額 山桜板 平彫 白緑 20×98
出典 宋弘
制作 2007
番号 会00086
「知」は知友であろう。気心の知れた友で、苦労しあった仲である。
山桜は堅い板だが、キメが細かく、磨くとツルツルの大理石のようになる。ただし彫りは腕力と気力が要る。氏は80歳ものご高齢であり、この作品の迫力に元気をもらう人も多かろう。かなり深く彫り込んだ平彫りである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/11/10 上に戻る
わが宿の
わが宿の 菊の白露 今日(けふ)ごとに いく夜たまりて
淵となるらん(清原元輔)
作者 野呂純子
かな 書軸 紙本濃墨
37×133/26×68
出典 清原元輔
制作 2011
番号 会00085
この秋の「63回中央区書道展」の出品作。変体がなの「王」は「わ」と読む。また「遊」は「ゆ」、「遅」は「ち」である。やや青みがかった料紙で、裾のほうに砂子がまかれている。
歌意は秋の菊に置く露がたまりにたまって、とうとう淵となるほどだ、と言うから相当な量である。それほど私の涙がたまっているということらしい。誰に流す涙かは知る人ぞ知るである。作者はともかく、それほど思われている恋人はさぞご満悦の至りであろう。さては野呂さん、秋も深まってかつて袖にした殿方を思い起こしているのであろうか。それかあらぬか、展覧会の会期中に風邪で高熱を発してしまった。文字には言霊が乗り移ることもある。御身お大事に。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/11/03 上に戻る
傳光小雲邊落点残
光を傳うること小に雲邊落点残る(杜甫)
作者 小池千代子
行書 書刻 タモ板 彫込 20×87
出典 杜甫「夕烽」
番号 会00084
小さな光が遠くにある。夕方の雲のかかっているあたりにポツンと灯って何かを伝えている。
杜甫のこの詩では「烽火(のろし)」の火で、その光が何らかの情報を伝えているのであろう。夕暮れの景観に灯る光は小さいがゆえに印象深い。希望の光であれば望みがある。
この作品は今年の第63回「中央区書道展」で「区長賞」に輝いた。
書道と書刻をはじめてもう10年になる。10作以上は作ったであろう。その積み重ねが実ったのである。
タモという板は北方に産する木で、堅くて丈夫だが彫りにくい板ではない。どちらかというと素直な木目(きめ)なので、中級者は大いに手がけるとよい。
これは表面を少しオイルステンで色づけしている。下方が黒いのは写真のライティングが当っていないための光ムラである。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/10/29 上に戻る
湖月林風相與清

湖月林風 相與(とも)に清し 残樽 馬より下りて復た同(とも)に傾けん
久しく野鶴(やかく)の双鬢の如くなるにまかす
遮莫(さもあらばあれ)隣鶏(りんけい)の五更を下るを(杜甫)
作者 出口和雄
楷書 半切 紙本濃墨 46×187/34×112
出典 杜甫 七言絶句
番号 会00083
「久」と「野」の間にある字は「まかす」と読む。パソコンでは出てこない。
この作品は昨日終了した第63回中央区書道展で「会長賞」に輝いた。長年にわたって地道な努力を積み重ねてきた成果。
「遮莫」は漢文独特のイデオムで「さもあらばあれ」と読み下す。どうにでもなれ、あとは知ったことか、勝手にせい、というニュアンス。最近はトンと耳にしない言葉になった。私などはときどき使う。この間も傘をどこかに忘れてきて一向に思いあたらない。ボケてきたと思うとシャクである。「さもあらばあれ俺の傘」と、ウサを晴らした次第。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/10/10 上に戻る
林下水声
林下水声(りんかすいせい)
作者 中田良子
篆書 書刻 小額 タモ板 浮出彫
銀箔押 20×28
制作 2002
番号 会00082
林の下に水が流れているのであろう。どこかに水の音がする。地色は古代朱であるが、日本画の顔料は店によって名前が違うので、この色も赤茶の名前がついているかもしれない。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/07/30 上に戻る
国華朱肉房
国華朱肉房
作者 中村行則
篆書 書刻 看板 桂板 浮出彫 金箔押
20×80
制作 2006
番号 会00081
作者の中村さんは印肉の製作者である。近年では中国の印肉ばかり出回っているが、実は日本にも伝統的な印肉の製法が伝わっており、彼はその唯一の伝統継承者である。
中国の印肉は朱に「モグサ」を加えて作るが、日本ではやわらかい和紙に
なじむように「ちぐさ」を練りこむ。これはタンポポに似た黄色い花で、その咲きおわりの白い綿毛を採取するのである。栽培できない花なので、毎年春になると家族総出で各地を採取して廻る。山ほど取っても柔毛はほんの少ししかとれない。こうして練りこまれた朱肉を「国華朱肉」といい、古くは平安期にさかのぼるらしい。その工房にかける看板なので「国華朱肉房」とした。
彼の店は東京、東麻布の商店街の真ん中にある。もちろん購入できるのでぜひ。
上がチグサの写真。よく道路のわきに咲いています。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/07/24 上に戻る
百歳多時一壮健
百歳は多時なるも一(いつ)に壮健
作者 佐伯友里恵
隷書 紙本濃墨 半切1/4
33×94/18×70
出典 白居易
制作 2011 6月
番号 会00080
「歳」は年に同じ。「一」は副詞で「いつニ」と読み下して「もっぱら」「ひたすら」の意。
百年は時間としては多いけれど、もっぱら壮健であることが望ましい。これ一つに集約したい。
白居易の詩に「百歳も多時 壮健なる無し」(対酒五首の五)とある。これをヒネって「無」を「一」に換えた。だから厳密に言えば白居易の出典ではなく白居易のモジリである。こんなヒネリも漢詩を知る者には粋な遊びとなる。
作者は二十をこえたばかり。天溪隷書手本(1)を終了して、その仕上げに一作をものにした。次は篆書教本(1)に挑戦したい、となかなか壮健である。
作者 : 4.会員
掲載 : 2011/06/30 上に戻る
