会員の作品
最新10件の作品掲載です。 全ての掲載作品をご覧になるにはこちらをご覧ください。
白雲の ならびのおかの

白雲の ならびのおかの やどこそあれ
花のあるじの 春はかはらず
出典を調べそこねているのではじめに謝っておきたい。つきとめたらすぐに書き込みます。作者は長く天溪に師事したベテラン。青溪会の重要メンバーだが、初期の写真が少ないので少し残念。主としてデジカメ時代になってから作品写真が集まっているので、会員作品にもやや制約が出てしまう。
かな 書軸 紙本濃墨 60×120
作者 沖成裕子
出典
撮影 タカヒコ
番号 会00029
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/12/14
いみじう生ひさき見えて

いみじう生ひさき見えて美しげなる形なり
髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして
顔はいとあかくすりなして(源氏物語・若紫)
おなじみ「源氏物語」の若紫登場のくだり。
話は飛ぶが「アンナ・カレーニナ」などもアンナが登場すると、俄然物語が精彩を帯びてくる。だからこの大作を読むには「はじめの50ページを我慢せよ」と教えてくれた先輩がいた。「源氏」もこの若紫の登場で俄然面白くなる、と私は思っている。
かな 書軸茶掛 紙本濃墨 60×120
出典 源氏物語「若紫」
作者 長崎愛子
撮影 ストゥディオ・キャトル
番号 会00028
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/11/28
にきたづに

にきたづ(熟田津)に 舟のりせむと 月待てば
潮もかなひぬ いまは漕ぎいでな(万葉・額田王)
有名な額田王(ぬかだのおおきみ)の歌。
作者は一貫して万葉集ひとすじ。カルチャーにも積極的に参加して、万葉集の研究を生きがいにしている。こうした腰のすわった書道は奥行きがあり、見習いたいものだ。
かな 書軸 紙本濃墨 50×120
出典 万葉集・額田王(巻1-8)
作者 吉川澄子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00027
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/11/13
人更ねて少き時無し 須らく惜しむべし
人更(かさ)ねて少(わか)き時無し
須らく惜しむべし(和漢朗詠・野)
「更」は「かさねて」と読み慣わしているが、「更に・・・なし」と打ち消しの語を伴って強めているとも読める。
また「更」は動詞の「経る」の意味もあり、「不更事」は「事をへず」(経験を積んでいない)の意味となる。「人更」を「人ふれば」と読んでみよう。
「ひとは歳をかさねれば、もう若いときはないのだ。須らく(今を)惜しむべし」となり、若者に言う言葉というよりは、年寄りへの、なかなか含蓄のある言葉となる。ただの強めの意味よりは面白い。「かさねて」という和漢朗詠の読みは、そういう気持ちをこめたものだろう。
行書 書額 紙本濃墨 36×94
出典 和漢朗詠集47(野は小野篁の通称)
作者 黒田 絢
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00026
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/11/09
奥の細道 十句

奥の細道 十句
草の戸もすみかはる代ぞひなの家(以下九句略)
短冊を10枚。奥の細道の始めと終わりの句をはさんで、お気に入りの句をあいだに置いた。初心者は、このように一つずつ書き上げては次に進み、十くらいまとまったら一段落して軸にしておくとよい。なにごとに於いても、おけいこは段落が必要だ。のんべんだらりとやっているより確実に進歩する。厳しい顔をして一区切りさせない先生は怠惰な先生だと思ってよろしい。ひと節ごとに腕を上げてゆく弟子に不親切なのだから。
かな 書軸 短冊づくし 90×65
出典 芭蕉「奥の細道」
作者 臼田麗子
撮影 タカヒコ
番号 会00025
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/10/24
巨勢山(こせやま)のつらつら椿

≪万葉二首≫
巨勢山の つらつら椿 つらつらに
見つつ思(しの)ばな 巨勢の春野を(坂門人足)
来むといふも 来ぬときあるを 来じといふを
来むとは待たじ 来じといふものを(読人不詳)
言葉遊びで有名な和歌。同音の繰り返しが快いリズムをきざむが、書くとなると同じ字が並んで書きにくいことおびただしい。そこで「変体がな」のリリーフとなる。変体がなのありがたさを知ると、今度は字形の異なる組み合わせに苦労することとなる。かな書を手がける人は必ずこのような課題に挑戦し、悪戦苦闘することになっている。
54の歌には詞書きがあり、坂門人足(さかとのひとたり)とわかる。和歌の伝統に従って、まず「ひとたり」と書くことができるが、527の歌のほうは記載がないからそのまま歌を書き始めている。二首の整合性はないけれど已むをえない。
かな 書軸 紙本濃墨 60×120
出典 万葉集(54、527)
作者 渡辺郁子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 00024
大きな画像l
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/10/03
竹径 幽処に通ず

竹径 幽処に通ず(常建)
「径」は「まっすぐな小道」をいう。曲がりくねる道ではないので「近道」である。どこに通じているかというと「幽なる処」である。
その「幽」であるが幺(よう)が二つで「糸たば」を表わす。下側は「山」のように見えるが、卜文や金文では「火」の形になっている。糸束を火に薫じて黒くなったものが原意である。「暗いところ、深いところ」「幽玄な趣」と解せる。
竹にも「まっすぐ」のイメージがあり、「まっすぐに、迷うことなく幽遠をめざす」という筆者の気持ちがこめられたものであろう。その思いは幽の原義とは逆に暗くなく、赤々と燃えている。
篆書 書刻 楹額 ケヤキ板 平彫
朱 25×100
出典 常建
作者 町田由溪
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00023
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/09/28
谷川のにごれる底を

谷川のにごれる底を澄ましつつ
をし照る波に流しいでつる(西行)
歌意は「川底を清めながら、輝く波とともに汚濁を流し去ってしまう」ということで、石塚作品(番号 会00021)と同様、西行の出家の感慨だろう。川の浄化作用を「をしてる波」の輝くイメージで勢いづかせている。やはりどこか悲壮な覚悟がにじみ出ている。
現代の河川の汚染とは違って、自然の浄化作用なのだから、それが「仏のはからい」であるという結論に説得力があるが、今ではそうはゆくまい。
かな 書軸 紙本青墨 55×170
出典 西行
作者 野呂純子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 会00022
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/09/21
その門に い出ての後ぞ

その門に い出ての後ぞ 知られける
根を離れたる 草木やはある(西行)
西行課題作は全部で15首を選び、幹事諸氏に委ねたのだが、選歌は西行の山家集から、晩年の釈教歌を取り上げている。この歌は松屋本にのみあり、陽明本、板本にはない。しかし一応西行のものとされている。
西行の花鳥風月の歌は広く取り上げられ、よく知られているが、釈教歌は書人もあまり書いていないようだ。しかし西行が73年の人生の50年間を出家者として過ごした、という事実は動かしがたいことである。若干23才の若さで、地位を捨てて高野山の奥にこもったのである。
この歌の文意は明瞭であるが、用語には難解なところがある。「いでての」というところ、仏門に「入りての」のほうが自然なはず。「いりて」を「いでて」と誤記もしくは誤読した可能性もある。どう解するかは石塚さん次第で、作品は「いでて」をとった。法門に「入った」というより「出家した」という意識が強くあり、それは次の「根を離れた草木などあるだろうか」という言葉によって強調されている。「根」は世間とのしがらみ。いかにそれが強かったかが、思い知らされる、と言っている。釈教歌というよりは、かなり人間的な歌である。すでに歌人、文化人として名をなし、政治の中枢部にもおり、前途洋々たる青年が、世間に執着がなかった、とすれば立派すぎというものである。
ところでこの歌は他の五つの歌と合わせて、地水火風空の五大にあてはめて作られている。この歌はそのうちの「地」にあたるもので、「根」を「地に根ざすもの」と解釈すれば、文意は全く変わってくる。「すべてのものは大地に支えられて、存在あらしめられている。つまり仏の大きな配慮のもとにある。そのことが、仏門に入ってはじめてわかった」となる。西行にはこの創作意図がはっきりあったと思われる。
この歌の面白みは後者の意図の裏に、前者の人間らしさがダブルところにもあるのではないだろうか。
かな 書軸 紙本青墨 55×170
出典 西行
作者 石塚洋子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 00021
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/21
古き木の 根をも何かは

古き木の 根をも何かは 思ふべき そこに通れる 風にまかせて(西行)
1998年(第20回青溪会展)では仮名部門、漢字部門の幹事に課題を与えた。仮名は西行の歌を一首。与えられた歌を各自が文字の選別、散らし、用紙、表装等々工夫をこらす。
この紙はシワが寄っているのではなく、撚れ模様である。枯れた古木に通う風を意識している。
かな 書額 撚れ紙 95×50
出典 西行
作者 杉山明子
制作 1998
撮影 タカヒコ
番号 00020
大きな画像
作者 : 4.会員
掲載 : 2008/08/15
