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夢
夢
小皿に一字。地肌がちょっとピンクがかっていてやさしい雰囲気である。「夢」という字は書きにくい字で、とくに下の「タ」が難しい。古い字形では「タ」の上に一本ヨコ線が入るのであるが、そうなるともっと始末が悪い。王羲之の「聖教序」にはそのやっかいな「夢」がみごとに書かれていて惚れ惚れとする。
作者 野呂純子
かな 陶小皿 弁柄 13×13
焼成 八王子焼窯元・工藤孝生
制作 2002(青溪会展)
番号 会00058
作者 : 4.会員
掲載 : 2010/02/20
平生飛動意
平生(へいぜい)飛動(ひどう)の意(こころ)(杜甫)
「平生」はつねひごろ。「飛動の意(こころ)」とはどういうものだろう。一般的には平生は「安定した意」をこころがける、と言いそうだが、それではあたり前過ぎて面白くない。私は「発想の転換」をこころがけている。しかしここは「躍動する(生き生きとした)心」とも考えられる。などなど、投げかけられたメッセージをどう受け止めるかはあなた次第である。書作の鑑賞というものは本来そういうものである。出典を調べて、原詩に忠実である必要はない。
お習字をするしないに関係なく、書作品の前であれこれ思いをめぐらす面白さを与えてくれる楽しみをあなたに配りたい。そこでこの字を見ると、「平」という字がなにやら難しい顔をしている。(字というのは顔に似ることがある)。ちょっとヒネった解釈をしてみよう。「平生、アマノジャクを心がけて人をケムにまくのが趣味です。」
おことわり。作者蒲田令望氏は謹厳な人柄で、私のようにアマノジャクではありません。
草書 紙本濃墨 半切1/4
出典 杜甫
制作 2002(第21回青溪会展)
番号 会00057
作者 : 4.会員
掲載 : 2010/02/11
淡水交情老始知
淡水の交情 老いて始めて知る(白居易)
「君子の交わりは淡きこと水のごとし」というが、淡々とした付き合いのよさが老いて始めてわかった、という意味。
「交」という字の草書体はこのようにも書く。
作者はかなの専門作家だが、同時に書刻を手がけるということにかけては、日本で唯一の人ではあるまいか。このようにかなの漢字作品を発表するには、古典の『和漢朗詠』などをしっかり勉強せねばならない。粘帖本の『和漢朗詠』が彼女の基本になっている。
用材はヒノキ。塗りこめて陶器のような肌合いにしたかったが、これはシックに仕上がっている。
作者 野呂純子
かな 書刻 ヒノキ板 彫込 峰彫 23×105
出典 白居易
制作 2003
番号 会00056
作者 : 4.会員
掲載 : 2010/01/23
春眠不覚暁 処々聞啼鳥
春眠暁を覚えず 処々に啼鳥を聞く
夜来 風雨の声 花落ちること知る多少(孟浩然)
二つ前の野呂純子の「かな書の漢字」とこれとを比較していただきたい。こちらは漢字専門家の筆法。
このように両者の違いを知った上で、それぞれを鑑賞すると面白さも倍増する。
漢字の線の特質はいくつもあるが、とりあえずひとつだけ上げておこう。漢字は筆をタメて(=矯めて)書く。(筆の)腰の弾性を利用するのである。弾性とは筆の毛の反発力を言う。反発力を誘うには矯めて、圧力を加えねばならない。始筆がその鍵を握る。
かなの場合は線の流れが命なので、ゴツゴツしては流麗な線ではないだろう。そこで、入筆で筆を矯めたりしない、というような基本をわきまえてご覧になってください。
作者 齋藤松溪
楷書 書額 半切1/2
出典 孟浩然「春暁」
制作 1998
番号 会00055
作者 : 4.会員
掲載 : 2010/01/09
やよひになりて

やよひになりて、咲く桜あれば、散りかひ曇り、おほかたのさかりなるころ、のどやかにおはする。(中略)
姫君はいとあざやかに、気高ういまめかしき様したまひて、ただ人に見たてまつらむは、似げなうみえ給ふ(源氏物語 竹河)
扇面作である。扇面の見方、書き方については私のエッセイ「扇面考」をお読みください。
金銀の砂子をちりばめた手漉きの料紙に「やよひになりて」と書きはじめる心地はいかばかりか、と羨ましく思うかたもおありだろう。心のゆとりというものがなくてはコチコチになって書けたものではない。この「ゆとり」を身につけるために、長いこと筆に親しんできたのである。
「姫君」とあるのは玉鬘の上の娘(大君)である。下の娘(中君)は今上天皇に輿入れし、大君はこのたび冷泉院に入内することになった。玉鬘邸が「のどやかにおはする」というのもむべなるかな、である。今をさかりの権門の姫君の様子は「いとあざやかに気高う今めかしきさま」とある。「ただ人(臣下)」にはとても見えない高貴さが漂っている。
作者 杉浦和子
かな 扇面
出典 源氏物語「竹河」
制作 2002
番号 会0054
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/12/19
春眠不覚暁 処々聞啼鳥
春眠暁を覚えず 処々に啼鳥を聞く
夜来 風雨の声 花落ちること知る多少(孟浩然)
かなの書風で漢詩を書くことは少ないが、そこは「和漢朗詠」というよい見本があるので、かなの線を活かした作品をつくることができる。
漢字の線は筆をタメながら、「押し書き」するが、かなの筆法は逆に「引き書き」である。したがって筆のカエリ(反対方向に向かうこと)が重たくならない。どことなく清々しく、さわやかなのはそのためである。日本的な感性が追い求めた和風の漢字なのである。
孟浩然の有名な詩で、誰もが書くから訳は不要であろう。春のあけぼののウトウトした気分を余すところなく言い得て妙である。
作者 野呂純子(漢詩なので里溪の雅号を用いている)
かな 書額 半切1/2
出典 孟浩然「春暁(しゅんぎょう)」
制作 1998
番号 会00053
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/12/02
古今和歌集 かな序

やまとうたはひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなれりける
世の中にある人 ことわざしげきものなれば こころにおもふことを見るものきくものにつけて いひいだせるなり
花になくうぐひす みづにすむかはづのこゑをきけば いきとしいけるもの いづれかうたをよまざりける
貫之のこの「かな序」は和歌の精神を高らかに宣揚した名文である。冒頭の有名なこのくだりは「かなの書」を手がける者にとっても心の底に沈めておくべき文言であろう。
作者はわが青溪書苑の幹事。中央区書道連盟の鑑査員かつ審査員。このブログの「百人一首」を担当している。ぜひお立ち寄りください。こちら。
作者 野呂純子
かな 書額 砂子紙濃墨 56×44/49×34
出典 古今和歌集 かな序(紀貫之)
制作 2009 第61回中央区書道展
番号 会00052
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/11/01
冬の薔薇

冬の薔薇 まくらべにひそと にほふさへ
たくらみをれば 人はさみしき (小池光)
現代歌人の歌を書くことが少なくなった。著作権をうんぬんする時代だから「注意したほうがとい」と忠告されることもある。しかし、歌人がいったん本に出して発表した歌を書くことが禁止される社会であってはならない。むしろ自分の歌がこんなところで人を感動させているのかと嬉しく思うであろう。共感するからこそ筆をとって書こうという気持ちになる。まあ、大量に作って儲けているのなら別だが。小池氏の反応を知りたいものだ。
さて、歌の意味だが、何を「たくらんで」いるのかは書かれていない。薔薇をひそかに贈ってくれた人のたくらみなのか、それを逆手にとって寝ている人がしかける「たくらみ」なのか。たしかに、薔薇の香りをよそにそんな思案そのものが寂しい。現代人の心の断片ではある。
作者 野呂純子
かな 書刻 イチョウ板 彫込 110×35
出典 小池光
制作 2003(青溪書刻展出品作)
番号 会00051
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/08/22
徳不孤必有鄰
徳は孤ならず
必ずや鄰(となり)有らん(論語)
論語巻2に出る名言。
「必ず鄰有り」と断定して読むのが伝統だが、上のように読んでみた。徳はしばしば孤独、孤立である。必ず理解者が出るとは限らない。「必ずや・・あらん」と希望的観測の言葉にした。
板はイチョウである。鮮やかなカラシ色は作者の選択。
板と字の大きさが釣り合って収まっている。このような作品の参考例として記憶していただきたい。
作者 町田由溪
篆書 書刻 楹額 浮出彫 31×122
出典 論語巻2 里仁第4
制作 2003(青溪書刻展出品作)
番号 会00050
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/07/19
蹉跎暮容色
蹉跎(さだ)たり 暮の容色(杜甫)
「蹉跎(さだ)」とは時を過ごしてしまうこと、機を逸してしまうことを意味する。夕暮れの美しさはあれよあれよという間に変化して、待っていてくれない。まことに「蹉跎(さだ)」たるものがある。
人それぞれに美しい暮景に出会った経験がおありだろう。書作はそのようなイメージをよみがえらせてくれる働きを持っている。
うつろいやすいものだから、なおさら美しい、ともこの句は言っている。幸いにも、我々の記憶はそれを保持することができる。
作者 町田由溪
隷書 書刻 ヒノキ板 彫込 18×70
出典 杜甫
制作 2003
番号 会00049
作者 : 4.会員
掲載 : 2009/07/04
