2009年5月 岡村友子の作品
夜をこめて 鳥のそらねは

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
世に逢坂の 関は許さじ(清少納言)
ご存知百人一首に出る歌。長い詞書きがあるので、前後の事情がわかるが、この歌だけでは「夜をこめて物語りなど」していたという意味にはとれない。夜通し鳥のそらねをはかっていたのか、それは何故? となるであろう。函谷関の古事を知っていても、いくらコケコッコーと朝になったことを告げようと、それではバレバレである。逢坂の関でなくとも門は開くまい。
当事者だけがわかる機知であり、清少納言と大納言行成だから話題性があるのだろう。この程度の男女のやりとりが話題になるほどレベルが低かったのかとがっかりする。狭い宮廷サロンの週刊誌的な状況がはからずも露呈したのだろう。
かな 鳥の子紙濃墨 33.5×29(本体)
出典 百人一首62・清少納言
制作 1968
番号 友00045
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2009/05/30 上に戻る
やまとは くにのまほろば
大和は国のまほろば 畳なづく青垣(あをかき)
山ごもれる 大和し うるはし

上代歌謡の代表作。ヤマトタケルの国見歌。万葉仮名の「夜麻登」は「倭」あるいは「大和」の漢字をあてる。「碁母禮流」は「籠れる」あるいは「隠れる」をあてる。
かな書を学ぶ人はまず「いろは単体」からはじめて、変体がなに進み、連綿を手がけて、散らしに進む。かなの曲線が手に入ったあとで、ようやく漢字(万葉仮名)に移る。ここで大きな山がたちはだかる。漢字は中国のもの、手本とする王羲之も「かな屋」ではない。
かな書の漢字は日本独自の展開をとげたもので、漢字の草書と違う崩し方が随所にあり、かなのやわらかい曲線に調和するようにできている。小野道風や藤原行成(伝だが)などの古典をしっかり学ばなければならない。漢字屋の漢字との線の違いが見てわかるようでなければ一人前ではないのだが、どこがどう違うのか、分かっていない人もかなりある。
かな 書額 継ぎ紙濃墨 本体36×24
出典 古事記(中巻) 上の老(を)は「袁」が正しい。
制作 1988
番号 友00044
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2009/05/24 上に戻る
百人一首 格子尽屏風
百人一首 格子尽(こうしづくし)屏風
百人一首(全)を貼り混ぜて格子柄にした屏風。
全体の構成は定家の小倉山荘を描いた山水画の文字表現という、このころはやった着想を自分なりにアレンジしたもの。それぞれの歌が尻取りになっている、という特徴を前後左右に生かしているのだが、写真では小さくてそこまで読めないのが残念だ。
かな書家にとって百人一首はわが庭のごときもので、つねに書いているから、まとめるときには何か趣向をこらさねば面白くない。そんなこともあって、新発見の本が出ると真っ先に飛びつくわけである。このネタ本は、林直道著『百人一首の秘密 驚異の歌織物』(青木書店1981)で、歌の配列は友子のオリジナルである。
かな 屏風 一双二曲 80×156×2面
出典 百人一首
制作 1998
番号 友00043
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2009/05/10 上に戻る
夏花の 姿は細き くれなゐに

なつ花の すがたは 細き くれなゐに
那 多八 礼
真ひる 生きんの 恋よこの子よ(与謝野晶子)
万日 与 与
変体仮名を下段に示した。
与謝野晶子の恋の絶唱。真昼正々堂々と恋に生きん、という当時としては大胆な宣言。こうした先覚者のおかげで、今の女性は「夏花の姿は細き」どころか「皇帝ダリヤ」くらいの大きさに進化しているのではないだろうか。
1963年、仲田幹一門から独立して初めての個展で発表した作品。まだ師匠の影響を脱していないのは止むをえない。
かな 書軸 紙本青墨 63×110/53×25
出典 与謝野晶子「蓮の花船」
制作 1963
番号 友00042
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2009/05/02 上に戻る
