目次:岡村 友子
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月海上に浮かんでは

月海上に浮かんでは兎も波を奔るか(謡曲・竹生島)
謡いでは「海上」を「かいしょう」と濁らずに謡う。このあと「面白の浦の景色や」と続くが、友子特有の中途切れにして余韻を持たせようとしている。
意味は月が琵琶湖の上に浮かんで、舟の進行に合わせて月の兎が波間を奔(はし)っているように見える、という見立てである。
これはB8サイズのパネルに布を貼り付けて下地を作った上に書いたもの。絵描きさんは下地のマチエルに工夫をこらす。書家はほとんど関心を示さず、紙にこだわるだけである。その意味でこれは先例の少ない大胆な試みだと言える。
かな 書額 特製パネル 濃墨 B8(73×52)
出典 謡曲・竹生島
制作 2008
番号 友00100 これでこの掲載作品数がちょうど100になった。友子作品はここで一段落するとしよう。
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/11/17 上に戻る
のきばのうめに うぐひすの
軒端の梅に うぐひすの 来鳴くや 花の 越天楽
歌へや 歌へ 梅が枝
(謡曲 梅枝)
絹布に書いている。かなり以前に、さる画家からいただいた戦前の絹布だが、昔のものなのに光沢が少しも衰えていない。最近のものは白いばかりで、つややかさが足りない。思うに昔の蚕と桑がよかったのだろう。素材そのものが劣化している昨今である。私のからだも添加物で犯されている。今も自分の歯で噛んでいる母の時代はまだまだ素材が安全だった。
かな 絹布 濃墨 16.5×17.5
出典 謡曲「梅枝」
制作 2008
番号 友00099
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/11/10 上に戻る
秋風に ほころびぬらし

秋風に ほころびぬらし ふじばかま
つゞりさせてふ きりぎりす鳴く(古今1020)
秋のフジバカマ(藤袴)が咲いた風情を袴の「ほころび」にたとえ、そのほころびを冬に備えて「綴ったり(=縫ったり)糸を刺したりせよ」とキリギリスが鳴いている、という言葉遊びの歌。
「つゞり、させ、てふ」は「綴り、刺せ、といふ」である。キリギリスは今のコオロギ(蟋蟀)であるらしい。虫や鳥の音を言葉に「聞きなす」ことは歌人の詩心を誘ったのであろう。
神奈川県では今も「かたさせ、すそさせ」と聞きなしているそうだ。祖母からそう教わった人が他の地方にもありそうだ。
かな 紙本青墨 44×32
出典 古今集 1020 在原むねやな
制作 2008
番号 友00098
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/11/03 上に戻る
月日は百代の過客にして
月日は百代の過客にして
行かふ年もまた旅人なり(芭蕉)
「奥の細道」の冒頭。青墨で書いている。
かなは基本的には曲線からなるが、漢字に直線を多用して俳文の味を出そうと試みている。
「行かふ」は「行きかふ」で、芭蕉は「き」の送りがなをしばしば省くのである。
今の母はボケが進んでまだらになっているけれども、これを書いた三年前はまだ才気煥発だったようだ。文字の布置など、なかなかどうして周到なものである。印も押してあり、表装するばかりになっている。だからこれは紙だけ(マクリ)の状態である。書家の家にはこのような未発表の半完成品がいくつもある。いずれ裏打ちに出そうとしてそのままになっているのである。紙にはシミが出るので本当は放置していてはいけないのだが。
かな 紙本青墨 23×68
出典 松尾芭蕉「奥の細道」
制作 2008
番号 友00097
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/10/28 上に戻る
新古今(10)

夕立の 雲もとまらぬ 夏の日の
かたぶく山に ひぐらしの声(式子内親王)
夏はつる 扇と秋の しら露と
いづれか先づは おかんとすらん(壬生忠岑)
どちらも新古今巻第三夏歌の最後のほうにある。夏の終わりごろの風情である。
「読めない」などとあきらめなさるな。
「ゆ布多ち/の く毛ゝと万ら/ぬ 那つのひ能 か多不く/ や万丹/ 日くらしの/ 聲」
「那つ者徒る あ不支登/秋の しらつゆと/ い徒連可万つ/盤 おかんとす/ら無」 と書いている。「扇」は「あふぎ」。
かな 折本 36×21
出典 新古今和歌集 268,283
制作 1972
番号 友00096
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/07/24 上に戻る
新古今(9)

なにとなく さすがにをしき 命かな
ありへば人や おもひしるとて(西行法師)
「ありへば」は生き永らえれば。「人」はつれない相手のことを指す。生き永らえてあれば、さすがに私を振った相手も私の心を思い知ってくれるであろうか。このまま死んでしまうのは心外なのであろう。
行と行とが接近する。その行間の作り方がこの空間処理の眼目である。
かな 折本 36×21
出典 新古今和歌集 1147
制作 1972
番号 友00095
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/07/08 上に戻る
新古今(8)

またも来む 秋をたのむの 雁だにも
鳴きてぞ帰る 春のあけぼの(摂政太政大臣)
摂政太政大臣は藤原良経。79首も収録されている代表的歌人。歌意は「また秋になったら来ますよと頼みにさせる雁ですら、さすがに別れの春の曙ともなれば鳴きながら北国に帰ってゆくのだ。ましてもう帰ってこない人と別れた私だもの。泣かないでいられようか」と、権力の中枢部にあった人に似合わず、かなり女々しい。この歌を贈られた女性も溜飲を下げたことであろう。本心ではなくとも、これが女性と別れるマナーというべきものである。せいぜいココロしておき給え。
かな 折本 36×21
出典 新古今和歌集 1186
制作 1972
番号 友00094
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/07/01 上に戻る
新古今(7)

はるかなる 岩のはざまに ひとりゐて
人目おもはで もの思はばや(西行法師)
写真がボケでいてはっきり見えませんが、いずれ撮りなおしして改訂します。
左頁から右頁へと後戻りする構図。「人目おも」までで右にとび「はで ものおもはばや 印」となる。語の途中でこのように改行するのは書き手の都合で、かな書道ではこれまでも「平気で」そうしてきた。しかしそれが必ずしも読みやすさに通ずるか、というとそうではなかろう。字を優先するあまり、和歌の語句を勝手に途中で改行するのは、よほどのことがない限り「しないほうがよい」と、私は思う。
かな 折本 36×21
出典 新古今和歌集 1099
制作 1972
番号 友00093
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/06/25 上に戻る
新古今(6)

水茎の をかの木の葉を 吹きかへし
誰かは君を 恋ひむと思ひし(隆)
隆は藤原家隆であろう。「をか」は岡の漢字をあてている。
この一連の作品は変体仮名をふんだんに使っているが(とはいえ、このくらいが現今のかな書道では普通なのだが)線のメリハリに作者は腐心しているようだ。
かな 折本 36×21
出典 新古今和歌集 1056
制作 1972
番号 友00092
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/06/18 上に戻る
新古今(5)

けふも又 かくや伊吹の さしもぐさ
さらば我のみ もえや渡らん(和泉式部)
「題不知」とあり、今日もまたあなたがかくのごとく言うのであれば、伊吹山でとれる「もぐさ」のように、私だけが恋心をもやし続けていることにしようか。つれない男に対する決意宣言。「さらば」とひらき直ってわが道を行く和泉式部らしい歌。
左頁にはじまり、右頁に戻って「のみも/えや/わたら/む/ 印」と終わる。
冒頭は「計布毛万多(けふもまた)」である。
かな 折本 36×21
出典 新古今和歌集 1012
制作 1972
番号 友00091
作者 : 2.岡村友子
掲載 : 2011/06/05 上に戻る
