岡村天渓の作品
習池未だ風流の尽くるを覚えず

習池未だ風流の尽くるを覚えず(杜甫)
杜甫が成都に帰郷したときの詩。習池は荊州にある習家池のことだが、自邸の池をここになぞらえている。
「習」は慣れ親しむの意。池をめぐってすっかり見慣れた景色だが、まだ風流を尽くしたとはいいがたく、興趣は尽きない。字義としてはそう読める。
しかし天溪がこの詩のこの部分を一行作品に取り上げたからには、別の意図がある。
「習池」といえば思いつくのは習字のこと。後漢の張芝が習いに習ってとうとう池の水が墨で真っ黒になってしまった、という故事から「臨池」といえば習字を意味する。書いても書いても興趣は尽きない、という天溪の述懐がこれである。
隷書 書額 赤箋紙 濃墨 30×70
出典 杜甫「将赴成都草堂・・・」五首の二
制作 1981(京都・思文閣ロイヤル画廊発表作)
番号 天00012
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作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/07/05
