2010年1月 岡村天渓の作品
白雲青溪

白雲青溪(はくうん せいけい)
杉板に隷書の書刻。文字の顔料は白緑(びゃくろく)である。この作品はどこかへ「嫁入り」して私の手もとにはこの写真しかない。寸法や制作年代も推測するしかない。
杉板に彫るには小刀の「切り回し」ができないと難しいので、このサイズの作品は世の中にもそう多くはないはずである。「切り回し」とはノミや木槌を使わず、小刀一本で深く切りつける刀法である。木目が硬く刀の進行を阻むから、これはやってみなければいかに難物かはわからないであろう。
隷書 書刻 杉板 120×30(推定)
出典 とくになし
制作 1976(推定)
東京 個人蔵
番号 天00056
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2010/01/23
行到水窮処 坐看雲起時
行きて水の窮まる処に到り
坐して雲の起る時を看る(王維)
水の窮まる処とは水源地、つまり頂上付近であろう。同時にそこは雲のわき起こるところである。
王維の詩はビジュアルで映像がストレートに伝わってくる。王維自身も絵を描いたらしい。釈清潭という注釈家はこの詩を「王右丞の最も傑出せるもの」と絶賛している。王右丞(おうゆうじょう)とは王維の官職名で、王維の詩集も『王右丞詩集』という。
何でもそうだが、物事の本源に迫り、そこに視点を据えたとき、はじめて世界が開け、新しい発想、あらたな視野がむくむくとわき起ってくる。(今は新年ですから、逼塞した世情のなかで、こんなふうに解釈したいですな。)
草書字形についてちょっと補足すれば、「処」は略さずに書くと「處」。下の「処」を古くは「匆」と書いたのでこのような形になる。二行目のあたまの「看」は「手」と「目」の合字だが(手をかざして見る形)、「手」のヨコ線を点々と書くので、知らない人は何の字かわからないであろう。「目」は最下部のヒッカケ(小さく「フ」とあるところ)で表す。「雲」のアメカンムリのすぐ上に位置している。
この書の特徴はすべての線をつないでいるところである。(天溪としては珍しい。)二行目のように、つなぎの部分をわざとかすれさせ、字のあたまで墨量を回復させるといったハナレワザを見せている。運筆のスピードをコントロールできる高等技術だから、この作品は「プロうけ」をねらったわけである。このつなぎ方の「しかけ」を知れば、上に補足した「看」の「目」の位置がやけに下になっていることも「ははん、なるほど」と思うであろう。
草書 立軸 紙本濃墨 半切1/2
出典 王維「終南別業」
制作 1975
番号 天00055
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2010/01/09
