2009年5月 岡村天渓の作品
一生慵懶作
一生慵懶(ようらい)を作(な)す(寒山)
「慵懶」とは聞きなれない言葉だ。慵(よう)は「ものういこと」、懶(らい)は「なまけること」。「慵懶をなす」とは要するに「ものぐさ」だということになる。
私の生涯ははなはだ怠慢であった、と反省しているのだろうか。とんでもない。
寒山はものぐさ生活を敢えて選んだ。絶対自由の境地とは、出勤時間に束縛されることなく、好きな服装で、世間のしきたりや慣習に縛られずに、自分の信条に従って自由に生きることである。世間一般からみれば「怠惰」であり「ものぐさ」であろう。
天溪もそれを気取ったのである。
草書 書軸 紙本濃墨
出典 寒山
制作 1970
番号 天00046
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/05/30 上に戻る
柳眼梅心漸欲春 白頂西望憶何人
柳眼 梅心漸(ようや)く春ならんと欲(す)
白頂 西を望んで 何人か憶(おも)わん(元穎)
柳眼は柳の新芽。柳も芽吹き、梅もほころんで、ようやく春だ。「欲春」は「春を欲す」と読まずに「春ならんとす」としたい。「白頂」は白髪頭の老人。自分のことだろう。老人は西方を望んで誰のことを憶っているのだろうか。「憶」という字を使っているのだから追憶の人なのだろう。
この紙にはちょっとだけ模様がついている。皺をよせたような模様である。仮名書家がこのような和紙に青墨を使うのを見て、試みてみようと思ったらしい。線の重なりに青墨ならではの濃淡が生まれ、側筆部に墨をつけて立体感を出すという技を見せている。
草書 書額 紙本青墨 54×65/41×55
出典 元穎(げんえい)
制作 1981
山梨 W氏蔵
番号 天00045
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/05/24 上に戻る
敏捷詩千首 飄零酒一杯
敏捷(びんしょう)詩千首
飄零(ひょうれい)酒一杯(杜甫)
杜甫が李白を激賞した詩で、敏捷とは動作が機敏なことだが、ここでは詩作の際の場面をとらえる文字を選択する手腕がすばやいことをいうのであろう。言葉で眼前の光景を一瞬にして捉える。そのセンスが抜群であるが、しかもそれを酔っ払ってするのだから恐ろしい。杜甫は「李白は一斗詩百篇」(飲中八仙歌)」とも言っている。これこそ芸術家のあこがれの境地である。
四苦八苦してようやく一字を書く。できた字が冷や汗をかいている。これではダメで、飄々としていなければならない。肩に入った力は見せてはならんのだ。
言うは易く行なうは難く、そのセンスを磨くには猛練習しかない。
隷書 書軸 紙本茶墨 30×62
出典 杜甫
東京 T氏蔵
番号 天00044
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/05/09 上に戻る
啜啄食紫芝

啜啄(てったく)して紫芝を食(は)む(寒山)
啜(てつ)は「すする」、啄は「ついばむ}。二字で「ズルズルすすって、クチャクチャ噛む」。鳥が紫の芝草を食べている。紫は神仙のものに使われる色で、紫芝(しし)は霊芝(れいし)とも言う。とすればこの鳥は霊鳥で神仙と同じものを食べていることになる。
寒山は自分を霊鳥になぞらえて、神仙の食べるものを自分も食べているのだと言う。俗人の食べるものとは違うんだ、と言いたい。それはとりもなおさず「詩作」のことで、「ズルズル、クチャクチャ」とはやや謙遜したつもりらしい。
天溪の紫芝は「書作」である。啜啄という行儀の悪い表現が気に入ったものと思われる。
青墨で珍しく渇筆(かすれ)を用いている。
隷書 書額 紙本青墨 サイズ不明34×70くらいか
出典 寒山
番号 天00043
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/05/02 上に戻る
