2009年3月 岡村天渓の作品
合点
合点(がてん)
これは袱紗(ふくさ)である。さるお茶会に亭主からの依頼で染めさせて参会者に配ったもの。そのときの天溪の講演記録から抜粋。
「南方録」というのはお茶をやる人のバイブルです。茶道の根本精神がその第一巻に総論としてあり、その中ほどに「合点」という語が出てくるのです。まず重要なのは「点」であります。点は「アキラ」「カギリ」と日本では読んでいる。「区切り」とも読む。「句読点」の点ですね。折り目、節目であり、はっきりと明らかなものです。お茶ではこれが基本なのです。「お点前」といいます。前という字は進めるという意味です。基本を正確に覚えて次に進んでゆく。
「合」は「あう、かなう」と読みます。合点は「点にかなう」。節目、節目で基本にかなっていることです。点はあわせることによってしっかりと支えられます。今の稽古事は形式に流れて、基本がどうもおろそかになってしまっている。
さて「南方録」には点とは何かが書いてある。利休は事もなげに四か条をあげています。一は「夏は涼しいように」、二は「冬はあたたかなるように」、三は「炉は湯のよくわくように」、四は「その湯が服しやすいように、これにて秘事は終り候」。お茶の秘伝はこれがすべてだと言うのです。「これを合点と申すなり」とあります。合点がゆきましたか?
篆書 袱紗
出典 南方録
制作 1981
番号 天00040
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/27 上に戻る
相対坐終日
相対して終日を坐す(王安石)
何と向き合って終日を坐しているのか。どなたかの面影と?
この言葉は宰相・王安石のものだから、天下国家の安泰に向き合っていたはずだ。百年に一度の恐慌だというのなら、本気で向き合ってくれなきゃ。
読む人が自分なりに向き合う相手をイメージしてくれればよい。書の活用は見る側にある。その人の器によって大きくも小さくも、嬉しくも、切なくもなる。
この染紙は少し青く、青墨を用いて紙への溶け込みを図っている。青墨というのは青い色なのではなくて、薄めて使うと青みがかって見える黒のことである。普通の墨を薄めて使うと赤茶がかって見えるので、水墨画などでは透明感を出すために青墨を好んで用いる。赤茶がかって悪いこともないから、普通の墨にたっぷり水を加えて書く仮名書家もある。
篆書 書軸 染紙青墨
出典 王安石
番号 天00039
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/21 上に戻る
白日在高天 迥光燭微躬
白日 高天に在り 迥光 微躬を燭(て)らす(李白)
天子は白日の高天にあり、その光はめぐって我が微躬(びく)を照らしている。燭台の燭という字は「てらす」と動詞に読む。「微躬=ちっぽけなからだ」とは自分のこと。李白にとっては自分を照らしてくれるのは天子様だが、天溪にとって「白日」は王羲之であろう。
金文では迥のシンニュウ、微のギョウニンベンを省く。
白日を何に見立てるかは人さまざまであってよい。それぞれが自分の目指すところに白日を見、ちっぽけな自分を照らしてくれると思って、元気づけられるのだ。
松特有の艶のある肌をそのままに、文字に白緑をいれるだけの書刻の伝統的なスタイル。この金文は端整で静かだ。天溪初期の作品。
上にフラッシュがあたって下は暗く、ひどい写真でごめんなさい。
篆書 書刻 楹額 松板 彫込 20×170
出典 李白「東武吟」
制作 1956
東京 O氏蔵
番号 天00038
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/15 上に戻る
水落魚龍夜 山空鳥鼠秋
水落ち魚龍の夜 山空にして鳥鼠の秋(杜甫)
すでに≪番号 天00010≫に収録している作品の額装である。2枚書いて一枚を軸に、もう一枚を「裏打ち」だけしたのである。軸装の場合は裏打ちしない。するにはするが仕方が違う。そこで裏打ちしたら額ときまっている。
さて、軸と比べてみると、受ける印象がだいぶ違うことがわかる。やはり軸は和風で、この額はフランス製だから隷書もモダンになる。
「馬子にも衣装」で仕立てなしに書画を飾ることはない。美術書には額抜きで作品本体だけ収録することを当然のこととしているが、それは恐らく額縁職人の仕事を一段低く見くだしていた「芸術家気取り」の悪しき伝統のなごりであろう。芸術作品はトータルで鑑賞することが自然で、どのような額縁に収めるかも重要な要素である。セザンヌの作品をキャンバスのまま飾っている美術館はないし、ほれぼれするような額にルオーの作品がびしっとキマッテいると、さすが、とうなることがある。どちらも一流の仕事をしているからであろう。ちょっと話がズレてしまった。
隷書 書額 紙本濃墨 24×134/45×155
出典 杜甫「秦州雑詩」
番号 天00037
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/14 上に戻る
従心至百骸 無一不自由

心従(よ)り百骸に至るまで 一つとして自由ならざるは無し(白居易)
はじめの字は「従」で、篆書(金文)ではギョウニンベンを省く。「より」と読む。従A至Bで英語の from A to B と考えればよろしい。
2番目は「心」。心臓を象ったと言われている。6番目は「無」で、この3字がわかりにくい。
心も体も、骨に至るまですっかり自由。晩年の白居易は悠々自適、何の束縛もない心境にいた。まあ、本当はどうだったか。これが願望だったか、わからない。しかし絶対自由の境地に憧れるのはよいことだ。
この篆書は西周時代の「金文」といわれるもので、青銅器時代の古い形である。K氏の居間に飾られたはずで、私の手もとにはない。板は切れ味のよさからしてケヤキではないかと思う。天溪の作のなかでは、色がかなりシックである。
篆書 書刻額 ケヤキ板? 浮出彫 金箔押
出典 白居易
制作 1964
静岡 K氏蔵
番号 天00036
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/12 上に戻る
月好共伝唯此夜・・・

月も好し 共に伝う 唯だ此の夜 境間 皆道(い)う是れ東都
嵩山(すうざん) 表裏 千重(せんちょう)の雪
洛水(らくすい) 高低 両顆(りょうか)の珠(白居易)
この詩は七言律詩で、あと7字4行が加わるのだが、前半をとりあげている。「草書の散らし」という和風の試み。
中国の書道史では「散らし書き」はない。これは我が国の仮名書家の発明であり、漢字作家はあまり試みないようだ。空間構成の面白さは飛躍的に広がるかわりに、「嵩山表裏」「洛水高低」と「千重の山」「両顆の珠」の対句の面白さは消えてしまう。
白居易(白楽天)の詩は平安時代から我が国に伝わって、かなりもてはやされた。この詩は藤原行成筆とされる名品にも書かれている。ただし今、校閲してみると6箇所ほど誤記があり、当時伝来した写本と今日の「白氏文集」との異動がある。古法帳を鵜呑みにはできないことがわかる。
草書 風炉先屏風 紙本濃墨
出典 白居易
制作 1964
番号 天00035
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/08 上に戻る
黄門茶寮
黄門茶寮(こうもんさりょう)
これはさる茶室にかけるために依頼された作品。なぜ黄門なのかは今の私にはわからない。
緑の染紙に太く書かれた力作。
ふつうこのくらいの作品を作るためには、サラサラと書いてしまうんでしょう、とよく言われるが、もちろん最後の一枚は10分とはかからない。しかし、このために染紙を1反は買うのである。1反は100枚。100枚ほとんどを消費して、ようやく一枚を選ぶのである。その背後には99枚の悪戦苦闘のシカバネがある。もっと言えば、何十年もの修練の積み重ねも加わっている、ということで、私が「力作だな」という場合は、そういう目線がついはたらいてしまう。
しかし苦闘が見え見えではダメなので、「サラサラお書きになったんでしょう」と言われるのは、ある意味で、うれしい誉め言葉に聞こえるわけである。
行書 書軸 染紙濃墨
個人蔵
番号 天00034
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/08 上に戻る
我有嘉賓 徳韻孔昭

我に嘉賓(かひん)有り
徳韻(とくいん)孔(はなは)だ昭(あきらか)なり
(詩経)
お客様が来られたとする。応接間にお通しする。その壁にこんな額が下がっていたとしよう。
「私の家によいお客様があり、そのお方の徳韻がありありと見えます」。篆書でそう書いてある。
私が客なら悪い気はしない。この家の主人は洒脱な人だな。人の心をとらえるすべを心得ている。
詩経のこの語句を、こんな場面に活用できることに気付いた天溪はアタマも柔軟だった。
これはかなり初期の、30代後半の作である。このような書額は客間や、床の間に下げるものだから、大切なお客様がみえる前に客を迎える準備として活用してほしい、という思いがこめられている。客を迎える心得や、配慮が「茶の湯」の世界にばかり片寄って、日本の家庭には奥ゆかしさがさっぱりなくなった。第一、書額を読む客がなくなった。どっちもどっちか。
篆書 書刻 楹額 ヒノキ板 彫込 総浚
出典 詩経
横浜 H氏蔵
番号 天00033
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/06 上に戻る
萬歳千秋楽未央

萬歳千秋 楽しみ未だ央(つ)きず (盧照鄰)
私が昔に撮った写真なのではなはだ不鮮明である。ご勘弁ください。
萬歳千秋を祝う。その楽しみはまだ尽きない。『和漢朗詠集』には「嘉辰令月 歓無極(よろこびきわまりなく) 萬歳千秋 楽未央(たのしみいまだつきず)」(謝偃)があり、おめでたい詩句の代表格。「未央」はイマダオワラズ、イマダツキズ」と読む。
緑の岩絵具を地に文字には赤をほどこした。
楷書 書刻 扁額 ヒノキ板 彫込 総浚
出典 盧照鄰
個人蔵
番号 天00032
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/05 上に戻る
衰遅自喜添詩学

衰遅自から喜ぶ 詩学を添ふることを(鄭谷)
「衰遅(すいち)」は晩年、老年の意味。歳をとったことを前向きに考えて自分でも嬉しく思っている。何がといえば、好きな詩学にかかわっていられるのだから。
これが壮年だと働き盛り。生活がかかっているので、好きなことばかりやってはいられない。定年後のありがたさか。詩人なら「詩学」にいそしむ。あなたは?
天溪は書家の仕事のなかに詩学も含めていた。ここでいう詩学とは「添詩学」ともいい、学問的な研究を意味するのではない。詩を読んだり、書いたり、語ったり、という愛好的なかかわりを言うのである。
あざやかな木目は杉の特徴であり、天溪には杉板を使った作品が多い。年輪を見ると相当の大樹で、木目は四方に走り、至るところサカ目の難物である。
篆書 書刻 扁額 杉板 丸彫 文字胡粉 100×25
出典 鄭谷(三体詩)
個人蔵
番号 天00031
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2009/03/01 上に戻る
