岡村天渓の作品
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空林獨り白雲と期す

空林獨り白雲と期す(王維)
原詩は空牀とあるが「ひとり寝のベッド」というのは「いかにも」と思うところがあって「空林」とした。だからこれは出典が王維であっても、原詩を離れて天溪の文意ということになる。誰もいない林のなかで、白雲だけを友として何を期するのだろうか。見るひとの心に答えを委ねるには絶好のお膳立てといえる。
書体は「さん宝子碑」である。「さん」の字は難し過ぎて変換できない。隷書のスタイルとして雲南辺境の変り種と思われていたが、近年中国本土からもこの書体が次々と発見されて、かなり正当な流れにあったことが分かってきた。早くからこの碑を評価していた天溪のような書家は「それ見たことか」と思っているだろう。王羲之の従兄弟にあたる王興之の墓誌銘などには明らかにこのスタイルが見えている。しかし天溪は「王興之墓誌名」の碑群を見ることなく死んでしまったので、今頃悔しがっているにちがいない。
板はヒノキであろう。全体を浚って石垣のような面をつくり、その上から文字を彫り込むこの手法は私も愛用するところだが、これを用いる書刻家はほとんどない。ノミ目をランダムに、しかも平均してハツルのが意外に難しく、またそれだけに面白いのである。手を入れれば入れるほど目が細かくなって失敗する。ほどほどにバラけさせるのにはやはりセンスが必要だ。
書刻 額 ヒノキ板 彫込 総浚 98×35
出典 王維「早秋山中作」
静岡 I氏蔵
制作 1978
番号 天00029
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/12/13
白鵲(はくじゃく)楼前

白鵲(はくじゃく)楼前 翠(みどり)堆(たい)を作す
縈雲(えいうん)嶺路 若為(いかで)開かん
故人は応に千山の外に在るべし
梅花 遠信を寄せて来たらず(蘇軾)
赤い染紙にやわらかな楷書。半切1/2の既製の寸法に七言絶句を収めた。ところどころ行書の筆致があり、行書としたほうがよいかもしれない。手本の楷書とは違う「作品」としての楷書、というものにこだわっていた。天溪の楷書手本は山のようにあり、どれも寸分のスキもないものだが、「作品」には少しのスキをもたせたい、と思い、またメリハリもつけねばならず、苦心した結果、やや行書の筆致を加える、というあたりに落ち着いたのではなかろうか。字間、行間はドンピシャである。このあたりにスキをつくりたくはなかったらしい。
楷書 書額 赤染紙 濃墨 半切1/2額
出典 蘇軾
番号 天00028
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/11/28
天地正大の気

天地正大の気(藤田東湖)
これは天溪の書で彫りは私である。死後に本棚の奥から、文字を貼りこんで彫るばかりになっているヒノキ板を発見した。この際思い切ったことをしてやれと、鎌倉彫りのように浚うことにし、色は鎌倉彫とは逆に、朱漆を地色に研ぎ出した。鎌倉彫では普通黒がベースになって上から朱を塗り、黒を研ぎ出すのである。彫りはゴッホのタッチのように渦巻く大気。ゴッホ晩年の麦畑の絵が頭にあった。
詩句は藤田東湖のもので、日本人の漢詩をあまり認めなかった天溪にしては珍しい撰文である。天と正とが特殊な形で読みにくい。天溪は「盲千人、目あき一人」と言い、「私はその一人を相手に仕事をするのだ」と言って、読み難さには全く意を払わなかった。
篆書 書刻 扁額 ヒノキ板 浮出彫 金箔押 朱漆研出 96×30
出典 藤田東湖・天祥正気歌
刻者 岡村大
番号 天00027
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/11/08
石梁(せきりょう)茅屋(ぼうおく)

石梁(せきりょう)茅屋(ぼうおく)湾碕(わんき)有り
流水濺々(せんせん)両陂(りょうは)を度(わた)る
晴日(せいじつ)煖風(だんぷう)麦気(ばっき)を生ず
緑陰(りょくいん)幽草(ゆうそう)花時(かじ)に勝(まさ)る(王安石)
王安石の七絶。天溪お気に入りの詩である。蘇州のような水郷には、たしかに石梁(せきりょう)茅屋(ぼうおく)が残っていて、湾碕(わんき)というべきカーブがゆったりとした水の流れをふちどっている。両陂(りょうは)は両岸のこと。よく晴れた日の暖かい風が麦の生育を早めているのであろう。初夏である。緑陰も幽草も春の花の時節にまさっている。
これは行書のようだが、楷書として発表した。鑑賞に堪えうる楷書という意味で、「手本」の楷書とは一線を画したかったのであろう。この天溪作品の最初に(番号 天00001)手本の楷書のこの部分を掲載しておいたので、比べて見れば一目瞭然である。
楷書 書額 紙本濃墨 40×47?
出典 王安石
番号 天00026
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/10/24
路有れど世に通ぜず

路有れど世に通ぜず(寒山)
「毒入りの米なんて突っ返すべきじゃなかったのか。買い取って転売するなんて、商道徳に反する。」などと憤慨しているあなた。だからこそ寒山も「世に通ぜず」と言っているんで。
悲しいかな、この文言は時代を越えて不朽である。ちゃんとしたことを、ちゃんと行うことができない。これが人間の世のならいなのか。
かくて寒山は隠遁したが、隠遁できない我々庶民は「不通世」のなかであくせく働き、老後の蓄えを「ネコババ」され、減額され続けて終わるんであるよ。せめて「ちゃんとした字」を書くしか能があるまい。
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草書 書刻額 桂板 平彫 群青 52×85
出典 寒山
制作 1982
番号 天00025
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/09/28
彼此親密(ひし しんみつ)

彼此親密(ひししんみつ)
彼(あのひと)と此(このひと)とは仲良し。
汝の隣人を愛せよ、とはいかにこれが難物であるかを言っているわけで、隣国・北朝鮮と親密になることは意外と大変なのだ。
天溪の丸額は1960年代がほとんどで、初期のものほど派手である。板を接がねばならないので、次第におっくうになったらしい。このことについてはすでに述べた。たて十文字に読んだが、出典はわからない。『詩経』を探してみたが見当たらない。
右回りに読んでみると「彼(あのひと)の親と此(あたし)とは密(ねんごろ)」とも読める。恋人のご両親とうまくやっていけるかしら、という初々しい娘さんの気持ち、となり、これも面白い。左回りではどうだろう? 暇つぶしに遊んでください。
字はわかりませんが、古代文明のわきおこる息吹といった雰囲気がありますね。エーゲ文明につながるような。1960年代にこんな大胆な仕事をしていた書家があったとは驚きです。という感想を寄せてくれた人があった。
なおこの篆書の書風については、いずれ詳しく述べたいと思っているが、今年の5月30日にこの欄に掲載した「番号 天00002」の作のさきがけとなっていることにご注意いただきたい。
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篆書 丸額 書刻 ヒノキ板 浮出彫 30×30(推測)
出典 不明
制作 1960
番号 天00024
作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/09/20
朝梵林未だ曙けず

朝梵(ちょうぼん) 林未だ曙(あ)けず
夜禅 山更に幽なり(王維)
朝梵は早朝に僧の行う梵行のこと。内容的には肉体的にもかなり厳しい修行と聞く。夜禅は夜に行う座禅。山僧の静かなたたずまいが目に浮かぶ。
篆書の文字同士をくっつけることは印篆以外にはあまり行わない。天溪にあっても作例は少ない。これはかなり自由に遊んでいる。
二行目の「更」の字は篆書ではこうなる。パソコンにはない活字なので、残念ながら示すことができない。
篆書 書額 染紙濃墨 45×55
出典 王維
制作 1972
番号 天00023
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作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/08/21
天台 四明に隣り・・・

天台四明に隣り 華頂 百越に高し 門には標(しる)す 赤城の霞
楼には棲ます 滄島(そうとう)の月
高きに憑(よ)って遠く登覧すれば 直下に冥渤(めいぼつ)を見る
雲は垂れて大鳳翻り 波は動いて巨鼇(きょがう)没す
風潮争って匈湧(きょうゆう) 神怪何ぞ翕忽(きゅうこつ)たる
奇を観て跡倪(あとげい)無し 道を好んで 心歇(や)まず
條を攀(よ)じて 朱実を摘み 薬を服して 金骨を練る
安(いずく)んぞ得む 羽毛を生じ 千春蓬闕(ほうけつ)に臥するを(李白)
暁に天台山を遠望した詩。漢詩をまるごと取り上げれば、このように難解な単語が並ぶ。これも書家の本業のうちなのである。文意は面白いが長くなるので訳は略す。
五言十六句の四曲屏風。これが二つのペアーだと、四曲一双(よんきょくいっそう)という。一つなので、半双(はんそう)である。
草書 屏風 四曲半双 紙本濃墨 260×170
出典 李白「天台暁望」
制作 1970
個人蔵
番号 天00022
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作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/08/01
時用 任(た)うる所に非ず

時用 任(た)うる所に非ず(白居易)
白居易の園林にある「太湖石」を詠った詩の一節。孔穴、皺だらけの石らしい。白居易はこれを賞玩したが、残念ながら実用にはならぬ。「時用(じよう)」とは現時点での実用性、有益性のことである。
このような語句を拾うのが天溪の好みであった。自分のしていることが「実用にはならぬ。(たうる所に非ず)」と自嘲できるプライドがこの作品を作らせる。
赤く装飾的なこの作品は現代性をねらったさまざまな試みがある。上下に二つある四角は何を考えてつけたのか、よくわからない。
篆書 丸額 書刻 浮出彫 銀箔押 径34
出典 白居易「太湖石」
制作 1967
宮城 T氏蔵
番号 天00021
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作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/07/25
今日既に老いたり

今日(こんにち)既に老いたり
余生は言うに足らず(寒山)
たしかに言われてみれば、その通り。余生は知れている。
ところであなたはお幾つ? なに66歳。その歳でうなづいてちゃダメですよ。
「老いたり」のあとの「矣」は虚字で、上の読み下しにはあらわれない。
行書 書額 墨流紙濃墨 半切1/2
出典 寒山
番号 天00020
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作者 : 1.岡村天渓
掲載 : 2008/07/20
