2009年12月 岡村大の作品
凝碧池頭奏管弦

凝碧(ぎょうへき)池頭(ちとう) 管弦を奏す(王維)
長安の宮殿内にあった凝碧池。そのほとりで音楽会をしている。と、これだけを取り上げたのでおだやかな光景となっている。
しかし、この詩は唐朝がチベット族に一時都を占領されて、その祝宴がこの池のほとりで催されたので、嘆いているのである。詩文の一句を採用する場合に、原詩に沿うべきか、独立した意味で用いるか、という二通りがあるが、作品としてこれをとりあげて、原詩に即するなら、詩文全部を書くべきであろう。原詩を手がかりに自由な発想を意図することもありうると思う。
隷書 書刻 エンジュ板 彫込 緑青 120×20
出典 王維
制作 1998
東京 A氏蔵
番号 大00054
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2009/12/19 上に戻る
誰憐酔後歌
誰か憐れまん 酔後の歌(杜甫)
この酔いかたは普通ではない。哀切ただよう酒である。杜甫は生涯酒を愛し、詩と旅と酒を友としたが、時には悲しみの酒もあったであろう。醒めたあとに聞こえてくる歌に異国をさすらう旅愁をかきたてられたのか。
「誰か憐れまん」とは「これが憐れでなくてなんであろう。ひたすら憐れだ」という常套句。「誰が哀れむか、誰も哀れまない」という反語ではない。
地には緑と赤の岩絵具を用い、やや複雑に仕上げてみた。
隷書 書刻 楹額 20×70
出典 杜甫
制作 1998
東京 S氏蔵
番号 大00053
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2009/12/02 上に戻る
