目次:岡村大
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151 盡取義何如

盡取(じんしゅ)の義 何如(いかん) (杜甫)
利ありと見ればエビでもイカでも遠いマダガスカルまで行こうと、根こそぎ取りまくるのが商業主義者の生きがいらしい。
「盡(ことごと)く取る」とはそのような生きざまを言う。でもちょっと待っていただきたい。材木にしてもインドネシアの森林を伐採すれば、その回復は数百年を要するのである。資源を消費することの本来の意味(=義)は一体何なのであろうか。
これは杜甫の言葉である。現代人を赤面させる古人の至言だからこそ残さねばならぬ。
この語句を私は2001年にも作品にした。当時と状況は変わっていない。
篆書 書刻 小額 欅板 枠浮出彫 銅、金箔押 54×18
出典 杜甫
制作 2012年
番号 大00151
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2013/01/06 上に戻る
150 水流心不競

水流れて心競わず(杜甫)
河の水は一律に流れ下っているだけで、ゴールめがけて早さを競っているのではない。
世の中は競争だらけである。書にまでその余波が及んでいて、コンクールなるものが集団競争心を煽っている。オリンピックではあるまいし、書は時間だの点数だのを競っても始まらぬ。
注釈書を見ると「自分の心は水と流動を競争しようとしない」と解釈している。(岩波「中国詩人選集」) 水が競争をしかけているはずがない。競う気がない河にどうしてそう思うのだろうか。杜甫の真意は「水のように私も競わない」のである。これは次の句「雲在り意(こころ)は倶に遅し。」(雲が浮かんでいる。その意は(川の水)と同じにゆったりとしている)と対応する。「水の心」と「雲の意」の二つが詩人の気持ちを代弁しているのである。学者の読解には詩心の抜けたものがある。この注釈(黒川)には異議を唱えておく。
「メトロポリタン美術館展」で見たイタリアのギリシア時代の絵皿(テラコッタ、紀元前4世紀頃)を、この配色に応用した。
篆書 書刻 額 けやき板 平彫 文字色胡粉 60×21.5
出典 杜甫「江亭」
制作 2012
番号 大00150
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/12/16 上に戻る
149 蒼苔 濁酒 林中静

蒼苔(そうたい) 濁酒(だくしゅ) 林中静か (杜甫)
金文で最初の字(右)は「蒼」、最後の字は「静」、中央「酉」は「酒」の金文形でサンズイはいらない。(原字形のことで、これを「初文」という。)
杜甫は「蒼苔」「濁酒」「林中静」の三語をころがしただけだが、イメージは充分に伝わってくる。
蒼々とした苔むす石をテーブルに、盃を置いてさあ一杯、といったところか。ところは静まりかえった林の中である。当時の濁酒が白くどろりとしていたとすれば、苔の蒼(あお)との対比もあるのであろう。
青貝箔というのは商品名で、青貝のような感じの箔という意味。ベ-スは銀箔で銅や錫を加えて色合いを出している。貝殻を貼り付けているわけではありません。
篆書 書刻 桂板 彫込(薬研彫) 文字胡粉 青貝箔押 51×22
出典 杜甫「絶句漫興」九の四
制作 2012
番号 大00149
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/12/07 上に戻る
148 国破山河在 城春草木深
国破れて山河在り 城春にして草木深し
(杜甫「春望」)
地震と津波は近代国家・日本を打ちのめした。復旧は遅々として進まず、原発は未だに放射能を垂れ流している。まさに国は破れたのである。塩害を受けた田は放置され、農村は疲弊している。しかしそのような汚染土にも桜の木が花を咲かせた、と報道された。自然は復旧を推し進めてやまない。海も自立して再生をはかっている。自然は偉いものである。
この板はカシ(樫)である。木目は広葉樹とあってしっかりと絵具を吸収する。したがって表面に薄く塗装すれば、木目が浮き出てくる。
「草彫り」というのは文字の片側だけを打ち込む手法で、通常はタテに垂直にノミを打ち込むから「タテコミ」ともいう。草書の筆使いを活かした彫り方で、書いた人の重心の取り方が反映される。
草書 書刻 楹額 樫板 彫込
草彫胡粉 金襴布貼付 12×89
出典 杜甫「春望」
制作 2012(第64回中央区書道展出品作)
番号 大00148
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/10/25 上に戻る
147 人生達命豈暇愁
人生 命に達すれば
豈に 愁(う)りょうる暇あらんや(李白)
命に達すとは自分の命に対してありのままを認めること、寿命なんだと達観すれば、あれこれ悩んでみても始まらぬ。
「愁(う)れうる」の音便で、「うりょうる」と読む。
関防印は「庶莫」とした。これは漢文のイディオムともいうべき熟語で、我が国の伝統読みでは、この二字を「サモアラバアレ」と訓ずることになっている。どうにもしょうがない、どうとでもなれ、と捨て鉢、もしくは開き直った表現。寿命なんだから。
隷書 書額 紙本濃墨 30×80/17×63
出典 李白
制作 2006
番号 大00147
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/08/24 上に戻る
146 浄潔 空 堂々 光華 明 日々
浄潔 (じょうけつ)空(くう) 堂々(どうどう)
光華(こうか) 明 (めい)日々(じつじつ)(寒山)
浄潔:きれいさっぱり。よけいなものが一切ないこと。
空堂々:がらりとおおどかなさま。
光華:まぶしく輝くさま。
明日々:きらきらと明るいこと。
岩波の中国詩人選集では「きれいさっぱり、がらりとうち開き、光うらら、きらきらかがやく」とある。寒山の心中をいう。
仏教の最高の境地はともかく、私は江戸っ子の美学「五月の鯉の吹き流し」を思う。 これは外溝彫りと云って文字の外側を溝にする。道路の側溝を思い出してください。
楷書 書刻 小額 欅板 蘇芳染
外溝彫 20×58
出典 寒山
制作 2007
番号 大00146
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/08/02 上に戻る
145 起尋禅榻臥清風
起って禅榻(ぜんとう)を尋ね清風に臥す(袁宏道)
禅榻というのは禅宗の僧が使う椅子。清風に身をゆだねようとて、手ごろな椅子を探し、ごろりと横になる。これぞ極楽。
タモ板の玉杢(たまもく)である。タモは木ヘンに弗と書く。秋田県のタモ専門の材木屋さんに聞いたので確かだろう。
(ついでながら、木ヘンに佛はサカキである。榊とも書く。)
北の寒い地方に産する木で、北海道にもある。最近はシベリヤからの外材も多い。堅くも柔らかくもなく、彫りやすい。モクメはケヤキに似ている。
楷書 書刻 小額 タモ板 玉杢
平彫 19.5×50.5
出典 袁宏道
制作 2007
番号 大00145
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/07/27 上に戻る
144 一壺好酒酔消春
一壺の好酒 酔うて春を消さん
(白居易)
白居易の「想帰田園」の詩句。「千首悪詩吟過日、一壺好酒酔消春」とあり、(いずれ故郷の田園に帰ったら)たくさんの下手な詩をひねりながら日を送り、一壺のうまい酒を飲んで春を酔いつぶそうよ、という意味である。
岩波の詩人選集では「消春」を「春をすごす」としているが凡訳。「消」は時間を消化する、という消極的な用例ではなく、春を満喫しつくそう、飲み尽くして消してやれ、という酒飲みの気合がこめられていると読みたい。
御影石のような肌にしてみた。塗りの如何によってこんな風にもできる。
行書 書刻額 楓板 外溝彫
22×67/11×57
出典 白居易「想帰田園」
制作 2004
番号 大00144
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/07/14 上に戻る
143 花近高楼傷客心
花近く 高楼 客心を傷ましむ
萬方多難 此に登臨せば(杜甫)
高楼に登ると、下から見上げていては見えない花も、間近かに見える。美しい花が客(旅人)の心に傷みを感じさせる。なぜなら、萬方多難で(台風あり、地震あり、津波あり、増税あり)ここに登って遠く臨めば、それらがひとしお思い起こされるから。
古典に現代を読む。さまざまなニュースが杜甫の詩に重なっている。
文字着色は白金。地は濃い緑の岩絵具。
彫りは後筆優先の草彫りである。穂先と側筆の彫りわけをする。草書や仮名書にはこの彫りが効果的である。先筆優先の彫り方もある。
薬研彫りの墓石には先筆優先が多い。逆順だから墓石にかなっているのだろう。彫りの効果としてはそれも棄てがたい。
草書 書刻額 朴板彫込 草彫 文字白金
25×54/15×45
出典 杜甫
制作 2004
番号 大00143
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/06/21 上に戻る
142 獨尋飛鳥外 時渡乱流間
独り飛鳥の外を尋ね
時に乱流の間を渡る(王安石)
「飛鳥の外」とは単なる大空を超えた理想の世界のことであろう。理想を尋ねれば、時には足元の乱流の間を渡ることもありうる。これは政争の修羅場をくぐってきた宰相・王安石の述懐だから、言葉そのものに凄みがある。
王安石ほどではないにせよ、高きを追い求めるうちには、乱流の間を渡ることもあろう。
用材はイチイ。一位と書く。古くから珍重されてきた高級材で、官位(一位)を持っている板はこれだけ、などといわれる。
草書の字形では「乱」が見慣れないだけで、そのほかは読みやすいと思う。
草書 書刻 楹額 一位板 彫込平彫 文字胡粉
18×120
出典 王安石
制作 2005
番号 大00142
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2012/06/15 上に戻る
