目次:岡村大
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181 屋外 翠深
屋外 翠(みどり)深し 
篆書
書刻 雲盤 サワラ板 枠浮出彫
焼緑青 径30
制作 2016 12月
番号 大00181
家の内外で光景が一変することがある。深い森の中に庵があればこの望みは常にかなえられるだろう。屋外に眼を転ずればたちどころに別世界だ。
これは都会人にとって永遠の憧れなのかもしれない。
丸額はどこに掛けても映えるので楽しい制作である。我が家では「まるがく」と言っていたが、「雲盤」という良い言葉があるので、それを用いたい。
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2016/12/18 上に戻る
180 槐花雨潤
槐花 雨に潤う (白居易)
槐は「えんじゅ」の木で、霊力があるとされてきた。槐花(図2)は生薬になり止血作用があるという。卒塔婆や神社のお札はみなこれを用いる。最近ではスプルスなどの外材に駆逐されているようだが。
花は七月ごろ咲く。白居易の詩に「槐花雨に潤う新秋の地」とあり、唐では秋の花とされていたらしい。
(図2)
地を横にV字カットし草星という顔料をほどこした。
草書
書刻 額 朴板 総浚
21×62/11×46
出典 白居易「秘省後庁」
制作 2016 10月
番号 大00180
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2016/10/06 上に戻る
179 天荒地老(2)

天荒地老(てんこうちろう)
天が一定の秩序のもとに運行していればよし、荒れるのはよくない。地も活力を失って老いるばかりである。
この句は李賀(790~816)の「天は荒れ地は老い、人の識るなし」から取り、入矢義孝先生の注では「滅亡に瀕した世紀末的な世界」を意味するという。安史の乱後の中唐ではそうなるのかもしれないが、私は今日的な意味でこれを読む。中国の古典が現代に新たな問題を提起する。それは私が現代に生きていて、書は私なりに生きる証だからである。
しょんぼりと肩を落とす「天」と眉毛を下げる「地」。天地いっぱいに勝ち誇る「荒」と「老」。
篆書
書刻 額 桂板 薬研彫 49×18
出典 李賀
制作 2005 2月
T氏蔵
番号 大00179
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2016/09/16 上に戻る
178 天荒地老
天は荒れ地は老いる(李賀)
「天荒地老」は「天長地久」の逆バージョン。天が荒れれば地は老いる、という二十一世紀的な警句である。書家は常に「天長地久」を書いてきた。今の地球はそんな悠長なことを言っていられるほどめでたくはない。
この板は柳の良材、きわめて稠密である。磨きの名人槙島氏が椋の葉でこすりにこすって仕上げた。木口までピカピカである。何も塗っていないので是非さわっていただきたい。板面を見せるためにはこのような筋彫りが有効。
実は十年前に篆書で同文の作があるので、次にそれをお見せしよう。
草書
書刻 水柳板 筋彫
14.5×64
出典 李賀
制作 2016 9月
番号 大00178
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2016/09/16 上に戻る
177 乗閑弄筆戲春色
閑に乗じて筆を弄し春色に戲る(王安石)
篆書 書刻 朴板 浮出彫 57×20
出典 王安石『憶昨詩示諸外弟』
制作 2016 5月
番号 大00177
王安石の七言古詩に出る。
「暇のあるのをよいことに筆をもてあそんで春の景色を詩にしようと試みる」という意味で、私の場合は詩作ではなく「書刻作」である。まあじゃれているようなもので「ほんの手すさびですが」という謙遜の気持ちもある。
「戯れる」という字は篆書では「虚」ではなく豆の「戲」が正しい。
初めの構想では縦書きだったが横に書いてみたら浜辺の松林のような風景になったので、これを生かして青い空の透けて見える木漏れ日と下半分を砂浜にしてみた。「ほんのお遊びで」と断った所以である。
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2016/06/09 上に戻る
176 南陟水 至柳邊
南に水を陟(わた)り
柳邊に至る(散氏盤)
篆書金文 紙本濃墨 15×21
出典 散氏盤
制作 2015
番号 大00176
散氏盤(さんしばん)は清朝初期に発見された青銅器の盤で、西周(後期)金文のマドンナともいうべく、これを収録しない本はないほどの人気者。初期の発掘品であるため、どこから出土したのか確かめられない。内容は散と夨(そく)との国境線を策定した盟約である。
文字は優雅だが松丸道雄氏は「ギッチョ」の手になると言っている。
読みやすい字を拾って一文にしてみた。
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2015/12/17 上に戻る
175 遺却珊瑚鞭
遺却す 珊瑚の鞭 白馬 驕(きょう)として行かず
章台(しょうだい) 楊柳を折る 春日 路傍の情
(崔国輔「長楽少年行」)
草書 紙本濃墨 24×24
出典 崔国輔
制作 2015
番号 大00175
珊瑚の鞭をどこかに置き忘れてきた。白馬のやつめいい気になって言うことを聞かない。章台の街で楊柳を折ってひと鞭当ててやろうか。春の日、路傍の情。
唐詩選に出る。「楽府題」という詩形で、「子夜」という女性が歌曲を作った。その曲に合わせて歌う。 少年は粋な伊達男。金持ちのボンボンが馬に手をやいている光景。章台は遊里の代名詞で、「楊柳を折る」とは女をなびかせるという意味がある。若い衆が妓女たちに冷やかされているのであろう。
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2015/12/10 上に戻る
174 南極星光爛
南極星光爛 華堂宴賞開 有年能自楽 無亊且㘅杯 鸞鶴紛階舞 芝蘭繞砌栽 百年真易耳 清浅看蓬莱(文彭 五律)
草書 紙本濃墨 35×50
出典 文彭
制作 2015
番号 大00174
南極星 光爛(またた)き
華堂の宴は賞でて開く
年(みのり) 有(ゆたか)なるを
能く自ら楽しまん 無亊なれば且(しばらく)くは杯を㘅(ふく)まん
鸞鶴(らんかく) 階に紛れて舞い 芝蘭(しらん) 砌栽(せっさい)を繞(めぐ)る 百年 真に易きのみ(耳) 清浅に 蓬莱を看ん。
有年は豊作、みのりゆたかなこと。百年の移り変わりなどはあっという間。それよりも今見る流れに蓬莱山を見ようではないか。
文徴明の長子文彭の書にある。河出の書道全集にも載っているが、出典と読みはない。「文彭書」とあるので自作詩ではない。
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2015/12/06 上に戻る
173 黄鸝転深木
黄鸝 深木に転じ
朱槿 中園を照らす(王維『瓜園詩』)
隷書 紙本濃墨 36×52
出典 王維「瓜園詩」
制作 2015
番号 大00173
黄鸝はうぐいす。深木は緑茂る木。朱槿は桑に似た木で、春先に深紅色の花を咲かせる。葉は金粉を塗ったようで照り輝くという。
瓜園は鶯が囀り、朱槿は咲いて春たけなわである。
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2015/12/03 上に戻る
172 昆明池水漢時功
昆明池水漢時功 武帝旌旗在眼中
織女機絲虚夜月 石鯨鱗甲動秋風
波漂菰米沈雲黒 露冷蓮房堕粉紅
関塞極天唯鳥道 江湖満地一漁翁(杜甫 秋興八首之七)
昆明池水 漢時の功 武帝の旌旗(せいき) 眼中に在り 織女の機絲(きし) 夜月に虚し
石鯨(せきげい) 鱗甲(りんこう) 秋風を動かす 波漂(はひょう) 菰米(こべい) 沈雲黒く 露冷にして蓮房 粉紅を堕(おと)す 関塞 極天 唯だ鳥道あるのみ 江湖 地に満てり 一漁翁
草書 紙本濃墨
半切 35×140
出典 杜甫「秋興八首」の七
制作 2015
番号 大00172
長安の昆明池は漢代の功績で、武帝の楼船の旌旗が池の面にひるがえっていた様が眼に浮かんでくる。でもかつての織女の機織り糸も石像となって夜月に虚しく立つばかり。石造りの鯨の鱗や甲羅も秋風の中に動くばかり。黒く実った菰米は波に漂い、水中に暗雲を沈めている。露は冷ややかに蓮の房から紅い花粉がこぼれている。この城塞から長安を眺めると唯だ鳥道が天空に極まり、この身は江湖いたるところに漂泊している一漁翁なのだ。
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2015/11/28 上に戻る
