目次:岡村大
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111 銀燭朝薫紫陌長

銀燭(ぎんしょく)朝に薫じて紫陌(しはく)長し
禁城の春色 暁蒼々(賈至)
銀の燭台が朝になってもまだともっている。陌(はく)は街路のことで、紫陌は紫にけむる街路を美しく表現したもの。禁城の春色とあるから、この街路は城中の街区。暁の時間帯の春色を蒼々と言っている。青みがかっているのであろう。
波磔の少ない初期の漢隷を用いた。右下にずんと引くだけの素朴な線に魅力がある。
板に塗料を重ね、御影石の肌を狙い、さながら石刻のように仕上げてみた。このような騙しの手法は(私の旧い友人は邪道だ、と一喝してくれたが)作る側にとっては単純に面白く、遊び心を満喫させてくれる。悪乗りして煉瓦をあしらった。(これもニセ煉瓦である。)
隷書 書刻額 桂板 外溝彫 御影石肌 25×54
出典 賈至(かし)
制作 2006
番号 大00111
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/02/26 上に戻る
110 湖面初驚片々飛
湖面初めて驚く片々の飛ぶに
尊前に吹き折る最繁枝
何人会得せんや春風の意
怕(おそ)れて見る梅黄(ばいおう)雨細き時(蘇軾)
この七言絶句は謎の言い回しが先行していて面白い。
湖面を見てびっくりした。片々と花びらが飛んでいるんだもの。徳利の前に何と、梅の枝が折れているではないか。しかも最繁枝が。
と、ここまでが謎の描写で、前夜に春風が吹きつのっていたことがわかる。
どうりで、湖面に花びらが飛び散っていたわけだ。一体誰が春風のこんな意(配慮)をあらかじめ予測し得ただろうか。ひょっとしたら、いずれ梅が黄色い実をつける時の、梅雨のやるせなさを味わいたくないな、という私の心を読み取って、はやばやと吹き折ってくれたのではないか。粋なはからいとして。
草書 書額 紙本濃墨 関防印 不可知
50×104/35×78
出典 蘇軾
制作 2006
番号 大00110
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/02/18 上に戻る
109 歳去換愁年

歳去れば愁年を換え 春来たって物色鮮かなり
山花緑水に笑い 巌樹青煙に舞う(寒山)
楹(えい)は柱掛けの意。これは二本で対なので楹聯という。歳があらたまるということは旧年の愁いまで持っていってくれるらしい。それが証拠に春がやって来て物みな鮮やかである。山花は緑水に笑いかけ、岩に根をおろす樹木は青いもやの中に舞っているかのようだ。
隷書 書刻 楹聯 魚梁瀬杉 彫込 胡粉 35×151/27.5×143
出典 寒山
制作 2004
番号 大00109
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/02/13 上に戻る
108 春

春
書には、篆・隷・楷・行・草の五体があるが、これは隷書。漢代に公用文字となった。このような春の古形もある。
若草色の地に彫り目を出して、ものみな芽生える雰囲気を出した。
結婚祝いに作った小品。春らんまんのころ、玄関先にちょこっと飾ってほしい。
隷書 書刻 小額 朴板 浮出彫 13×11/9×7
制作 2007
東京 K氏蔵
番号 大00108
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/02/04 上に戻る
107 恵福

恵福(けいふく)
2007年の個展では小額の篆書七つを展示した。
横幅1メートルほどの作品であれば、この額はとてつもないものになる。小さいからできることで、普通ならこんな大きな額を作ったりはしないであろう。とすると、これは壮大な構想を実験しているようなものかもしれない。
展覧会用の作品としては小さすぎるのだが、会場にはアクセントも必要である。
篆書 篆書 書刻 小額 桂板 浮出彫 金箔
19×17/6.5×4.5
制作 2006
番号 大00107
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/01/29 上に戻る
106 眞
眞
これも小品である。 一字作はあまり作らないのだが、このような小さな遊びでは、面白い字形をあしらって、額といかに調和させるかにポイントがある。まことさんとか、眞子さんとかをイメージしたわけではないのだが、こんなビール腹のマコトさんがいたら面白いかもしれない。
篆書 書刻 小額 タモ板 浮出彫 16.5×16.5/3×3
出典 とくになし
制作 2006
東京 M氏蔵
番号 大00106
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/01/13 上に戻る
105 心如水

心如水
心は水のごとく「流れてやまず」。あるいは「器に従う」か「淡し」か。さまざまな解釈が可能だろう。さてあなたは?
篆書 書刻 小額 朴板 浮出彫 14.5×11/4×6.5
出典 とくになし
制作 2005
番号 大00105
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/01/06 上に戻る
104 在始思終
始めに在りて終りを思う
なかなかできないことである。始めから結果が分かれば苦労はないからだ。しかし当たらなくとも予測はできる。予測もせずに終りをむかえることは愚かだろう。
竹をデザインしたおかしな額である。書刻小品はこのような風変わりなものを使うことができて面白い。
篆書 書刻 小額 朴板 浮出彫 20×20/5×5
出典 とくになし
制作 2007
番号 大00104
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2010/12/19 上に戻る
103 守拙
拙を守る(陶淵明)
拙を守るとは、つたなさを常に心に持すること。自分はまだ至らないという自覚を持つから努力するのである。拙を守らなければ慢心する恐れがある。ご用心。
陶淵明の詩では「拙を守りて園田に帰る」とあり、「拙」は何が下手なのかというと「世渡り」が拙なのである。「守」はそれをむしろ前向きに守ること。世渡りの下手を逆手にとって、むしろそれを押し通して、園田に「帰りなん。いざ」ということである。私は処世も下手だし、字も下手なので、どちらも開き直ってしまうのである。
隷書 書刻 小額 朴板 浮出彫 18×20/6×7.5
出典 陶淵明「帰園田居」五首の其一
制作 2007
番号 大00103
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2010/12/09 上に戻る
102 春光懶困倚微風
春光懶困(らんこん)微風に倚る(杜甫)
懶困(らんこん)は見慣れない熟語だ。「ものうい、けだるい」という意味で、懶は懶堕の懶。困という字には「やるせない」というようなニュアンスもあるのであろう。
春の海ひねもすのたりのたりかな
という発句がわが国にもある。その「のたりのたり」に相当する漢語だと考えれば、わかりやすい。
春の光が「のたりのたり」と感ずる。カッタルく、けだるい。だから微風にまでよりかかっている、と観察したところが面白い。「倚る」という動詞の主語は春光だと素直に読まずに、わざわざ「私が倚る」とする本もあるが鈍訳だろう。わずかな風にもたれかかるほど、とろりとした光。この的確な語感に舌を巻く。さすが杜甫である。
楷書の字形は元禎墓誌銘(北魏)を参照した。理屈はともかく、生理的にこういう字も、私は好む。
赤い部分は紅彩箔を用いた。
楷書 書刻 楹額 檜板 外溝彫 紅彩箔 18×82.5
出典 杜甫
制作 2006年
番号 大00102
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2010/11/26 上に戻る
