
目次:岡村大
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121 ビレジ ふれあい館
ビレジ ふれあい館
習志野市の「地域ふれあい館」の看板。外づけされるので全面塗装を施した。
看板は正式な表札だから、正しくは「習志野ビレジ」と書くべきではないかと提言したが、皆が「ビレジ」といって通っているから愛称がよい、とのことだった。看板というものの意味が変わりつつあるのであろうか。愛称としての看板は正式名称を記す本来のものとは違うと思うが、住民意識はそれでよいらしい。
これは工期が決まっていて、開館に合わせて突貫書刻となった。したがって塗りの工程など二日乾燥を待つべきところを一日で済ませたりして、不本意なところがある。
行書 書刻表札 欅板 枠浮出彫 金箔押 70×40
制作 2005
番号 大00121
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/07/08 上に戻る
120 一粒砂内観世界
一粒の砂内に世界を観
野草の花中に天国を覩
掌大の裡に無辺際を持
点鐘の間に永劫の時を捉う
(ウイリアム・ブレイク詩 鈴木虎雄訳)
威廉・布来克はウイリアム・ブレイクの中国語訳。原詩は下に掲げた。
この有名な英詩を訳したのが漢学者の鈴木虎雄だから面白い。見事な七言絶句に仕上がってしまった。
実はこの訳を依頼したのが市河三喜で、市河米庵の子孫だけにしゃれた依頼をしたものだ。これは上智大学の教授・巽豊彦先生にご教示いただいた。市河先生のご葬儀の際に先生自身の手による書幅として披露されたそうで、珍しい資料である。三喜先生の書では「覩」が「賭」と見えるので覩に直しておいた。
この表装は紙である。柿渋をスノコ状に塗った特殊な壁紙。茶室の腰貼りに用いる秘蔵品をわけてもらった。知らない人は「皮ですか?」と思わず聞くくらい重厚な感じがする。我が国の伝統品の、もはや廃れゆく最後の珍品かもしれない。書道コラム(66)にも関連記事を書いています。
William Blake: Auguries of innocence
To see a World in a grain of sand,
And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,
And Eternity in an hour...
楷書 立軸 紙本濃墨 41×120/31×63
出典 ウイリアム・ブレイク詩
制作 2006
東京 T氏蔵
番号 大00120
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/07/02 上に戻る
119 渭水東流去
渭水東流し去る 何時か雍州に到らん
憑むらくは両行の涙を添え 寄せて故園に向かい流さんことを(岑参)
故郷雍州へ帰らんとしている詩。「寄せて」とは手紙にことよせて、の意味で、両目からあふれる涙をこの手紙とともに渭水に託そう、というのである。
色違いの二紙に書いた。このころは連綿(続け書き)の勉強をしている時で、ややうるさくつないでいる。
草書 扁額 紙本濃墨 24×60(本体)
出典 岑参
制作 2007
番号 大00119
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/06/25 上に戻る
118 四季萬歳
四季萬歳
皿ではなく丸い陶板。文字の布置には漢代の瓦当文が参考になる。かなり大胆なデフォルメがしてあるので、瓦当を見ていると勇気が湧くというものだ。
これは墨だまりがテンテンとできている。陶板に書くとどうしても筆を放す瞬間に絵具が下りる。漢字屋は筆を矯めて書くから、筆の止まったところに墨ダマリ、線の交差するところにも絵具の濃い部分ができる。これをなくすには陶芸家が絵付けをするように、筆を走らせ、すくい上げるように書かねばならない。ペンキ屋が掃くような筆使いをするが、あれと同じである。しかしそれでは本来の腰の据わった字が書けないから、いっそのこと墨ダマリを嫌わず、むしろその巧まざる面白さを狙ったほうがよい。紙に書くと見えなくなるこうした事象が、焼成すると現れ出るというのも陶板作成の魅力のひとつだ。
篆書 陶板 墨呉須 径18
制作 2003
焼成 八王子焼窯元 工藤孝生
番号 大00118
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/06/18 上に戻る
117 臨風對酒
風に臨んで酒に対す
臨も對も何ものかに向き合っている動詞であるが、ニュアンスが違う。
臨風とか臨泉とか臨水など、自然の中に身を置いて体感している感じが「臨」にある。
一方「對」は對面、對坐など、対等に向き合っている様子がわかる。對酒、對酌など詩では差し向かいで酌み交わす親密な関係にも使われる。
この板はセン(栓)。字枠の上下で木目の柄が違っているところが面白い。木目(もくめ)を活かし、浮き出し彫りにするにはこのようなベルトの中を浚うのが効果的で、私はこの形式を「枠浮き出し」と称している。「枠内浚い」としてもよい。天溪にもこのやり方はなく、世間を見渡してもあまり行われていないようである。絵具は白緑(びゃくろく)の岩絵具をかけた。
隷書 書刻 小額 栓板 枠浮出彫 拭漆仕上
50×25
出典 とくになし
東京 O氏蔵
制作 2003
番号 大00117
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/06/05 上に戻る
116 江碧鳥逾白 山青花欲燃
江碧(みどり)にして鳥逾(いよいよ)白く
山青くして花燃えんと欲す
今春 看(みすみす)又た過ぐ
何(いず)れの日か是れ帰年(きねん)ならん(杜甫)
有名な杜甫の絶句。
後段「今年の春もむなしく過ぎ去ろうとしているが、何時になったら故郷に帰るときがくるのだろうか。」のくだりは、福島原発で故郷から強制移住させられている人々を思うと、いたたまれぬ感情にかられる。杜甫の時代はまだよかった。山も川も汚染されていなかったから。
この作品に関連する話は私の「書道コラム(30)」にも書いたので見てください。
篆書 書刻 魚梁瀬(やなせ)杉 彫込
白緑(びゃくろく)
45×158/31×144
出典 杜甫「絶句」
制作 2002
埼玉 I 氏蔵
番号 大00116
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/05/28 上に戻る
115 世事浮雲何足問
世事 浮雲 何ぞ問うに足らんや(王維)
世事は浮雲。改めて問うまでもない。しかし世事のもろもろから逃れることも難しい。まことに人の世は煩わしく煩瑣な雑事に満ちている。
この楓板は玉杢(たまもく)がすばらしく逸材である。蘇芳染(すおうぞ)めを施した。
蘇芳は東南アジアに産する豆科植物の木をチップにしたもので、染料として正倉院の櫃(ひつ)などに使われた。今日では染織の分野以外には使われることも少なく、木染めでは滅多に行われない。媒染剤として明礬(みょうばん)を用いるとこのように鮮やかな赤に染まる。正倉院御物に赤漆(せきしつ)とあるのは漆ではなくこの蘇芳染めをいうのである。ちなみに硫化第一鉄を媒染剤にすると紫色になる。蘇芳染めについて私のコラムにも書いている。
隷書 書刻 扁額 楓板杢 彫込 蘇芳染
95×15
出典 王維
制作 2005
番号 大00115
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/05/21 上に戻る
114 燕子飛来
燕子(えんし)飛来(ひらい)
代々燕がやってきて軒下に巣を作る。この家は燕との信頼関係が確立しているのであろう。
そういえば燕の姿もめっきり減りましたね。信頼関係はどうなっちゃったのでしょうか。
篆書 立軸 箋紙濃墨 33×98/23×23
関防印 佳人好在
制作 2006
東京 F氏蔵
番号 大00114
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/03/27 上に戻る
113 捧腹絶倒
捧腹(ほうふく)絶倒(ぜっとう)
「抱腹」と一般には言われているが、正しくは「捧腹」。捧は「ささげる」「手を上に上げる」が原義。腹に手をあてて笑いこけること。腹を抱くのではない。おかしさの表現としてこの熟語は秀逸で楽しい。
石門頌の隷書は今年の私の主要課題である。
隷書 書刻 小額 栓板 彫込
拭漆仕上 30×32
出典 四字熟語
制作 2002
番号 大00113
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/03/10 上に戻る
112 胸中貯活春 不糟自然酔
胸中に活春を貯えれば糟せずとも自然に酔う(袁宏道)
胸中に活春をたたえているので、もろみを加えなくとも自然発酵するように、酔い心地となる。
何に酔うかで解釈も変わって来よう。心に活力ある若さを貯えていることがポイント。
糟(もろみ)は酒を発酵させるもと。酛(もと)ともいう。ここでは動詞に用いているので「糟せず」と訓じた。「糟くわえず」でもよかろう。
この板はブラジル産のボコテという木で、恐ろしく堅い。欅や桜のように稠密で堅いのではなく、繊維質でクヌギのようにスカスカしているくせに堅い。繊維質を固めている樹液のせいらしい。木目はなかなか面白く、ご覧のように白太がはっきりしている。国産材にはない雰囲気があるが、えらく重いのが欠点だ。
篆書 書刻 扁額 ボコテ板 彫込 24×114
出典 袁宏道(えんこうどう)
制作 2006
番号 大00112
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/03/06 上に戻る