目次:岡村大
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養氣斉身

氣を養いて身を斉(ただ)す
写真展に行くと組み写真という分野がある。全体で一つのテーマを表現する。書でも額を組んでみたらどうかと思って試みた。
並べ方は自由になるので、左から右へも、また中央に集めることも、斜めに置くことも可能である。「身を養いて気を斉す」と並べ替えることもあろう。
氣は「英氣」でも「爽氣」でもよい。英氣を養い、身体を整えるに越したことはない。「斉」は「ひとしくする、ととのえる、正す」の意。「気功」というものも世間にはある。中国でそんな見世物を見た。まあ虎を気功でひっくり返すようなことはしたいとは思わないから、ここでの「氣」は「元氣」でもいいと思っている。「氣」という字の篆書は「气」だけで、中の「米」(今の字はメと略す)を書かない。大気の流れを表している。ちょっと余談だが、今の略字「気」は大切な「お米」をバツにしてしまった。これでは農業立国はかなうまい。
篆書 組額 紙本濃墨 28×32/24×29×4本
出典 とくになし
制作 2003
神奈川 M氏蔵
番号 大00131
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/12/10 上に戻る
雄心志四海 萬里望風塵
雄心四海を志し
萬里風塵を望む(傳玄)
威勢のよい二行である。雄心はスケールも大きく、四海に飛ばんとしている。行く手には障害も待っていよう。それも覚悟の上だ。風塵を望んで武者震いしているらしい。
さて、関防印は「難矣哉」とした。「難きかな」と訓ずる。この二行はそうそうできうることではない。ほとんど絶望に等しい。でも、書くことぐらいは許されてよかろう。
隷書 書額 紙本濃墨
48×93/34×68
出典 傳玄
関防印 難矣哉
出典 2007
番号 大00130
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/11/24 上に戻る
渭水自縈奏塞曲

渭水は自のずから奏塞(しんさい)を縈(めぐ)って曲り
黄山は旧(も)とより漢宮を繞(めぐ)って斜めなり
鑾輿(らんよ) 迥(はる)かに出づ 仙門の柳
閣道 廻(めぐ)らし看る 上苑の花
雲裏の帝城 双鳳闕(そうほうけつ)
雨中の春樹 万人の家
陽気に乗じて時令を行わんが為なり
是れ 宸游(しんゆう)の物華を重んずるにあらず(王維・七律)
長いので詩の訳は省く。楷書を軽い筆致で書いてみたが、ただ細いだけの字になってしまった。表装は最近連続して使っている「泥紙」である。
楷書 書軸 紙本濃墨 138×66/59×34
出典 王維
制作 2009
番号 大00129
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/11/17 上に戻る
南登杜陵上 北望五陵間
南に杜陵の上に登り 北に五陵の間を望む
秋水落日に明らけく 流光遠山に滅す
(李白)
雄大な風景を臨場感あふるる五絶に仕立てる李白の文字選択はいつも感服する。落日の短い時間の推移までありありと映し出している。
川の水が夕陽を反映して明るく輝き、それをもたらした光は刻々と遠山のあたりに移動してやがて沈んでゆく。南側の斜面から反対側を望んだ対比の妙が山と水にも活かされて、秋の清澄な空気がすがすがしい。
と、詩文の解説はできるが、書くとなるとなかなかうまくゆかぬものである。
草書 立軸 紙本濃墨 44×150/33×69
出典 李白
制作 2006
番号 大00128
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/11/10 上に戻る
方知黄鶴挙 千里独徘徊
方に知るべし黄鶴挙がり
千里を独り徘徊するを(李白)
黄色い鶴は仙人が乗るという。「方知(まさにしるべし)」は「その気持ちよく分かる」の意。ちっぽけな世間を睥睨しながら独り飛ぶ黄鶴の気持ちがよくわかるぞ。
薬研は図のような器具。薬草を溝に入れて砕くもの。薬研彫りはV字カットする彫り方。光と影のコントラストがはっきり出るのでなかなか面白い。
楷書 書刻額 欅板 薬研彫 38×60
出典 李白
制作 2001
番号 大00127
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/11/03 上に戻る
倚杖柴門外 臨風聴暮蝉
杖に倚る柴門の外 風に臨んで暮蝉を聴く(王維)
老人が杖にもたれ簡素な柴の門前で暮れがたの風のなか、蝉の声に静かに耳を傾けている。
視覚的には中国の田園の静止画。
聴覚的には蝉の音が遠く近くと奥ゆきを持つ。私はヒグラシのしみじみとした音を連想する。
触覚的には夏の夕刻のほっとする涼風である。
視覚、聴覚、触覚の三つが十文字にビシッと決まっている名句。
浚いのノミ跡をしっかりと見せるこの研ぎ方は父の創出した技法。書刻の分野では他に見たことがない。「天溪研ぎ」と称することにしている。
板は檜の柾目。目が一定した素直な板で気持ちよく彫れた。檜は彫ればその香りがすばらしい。詩句は視覚、聴覚、触覚だが、彫る私には更に嗅覚が加わって四重の喜びである。
隷書 書刻 楹額 檜板 浮出彫 天溪研
18.5×140
出典 王維
制作 2005年2月
番号 大00126
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/10/30 上に戻る
変改(2)

前作と同様だが、青海波模様の和紙を用い、表装も風帯をつけて緞子二段と正式にした。意識改革が行われた際
には波おだやかな海とならまし。
前作は渋い泥紙仕上げだが、こちらはやや明るく仕上がっている。あさってからの「中央区書道展」には、こちらの明るいほうを出そう。青海波という趣向がもうひとつ加わっているので分りやすいだろう。
篆書 立軸 青海波紙 濃墨 50×117/39×29
関防印 2011 3 11
制作 2011
番号 大00125
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/10/03 上に戻る
変改

変改(へんかい)
大災害の年であった。関防印に「二〇一一 三 一一」と彫った。
政治家の意識は全く改まるどころか、
旧態依然とした政局劇を繰り広げている。しかし、国民の、とくに若い人たちが、これを機に意識改革を行っていると思う。例えば無駄な電力を使う必要はさらさらない、昼間の電車の車内の照明なんかどうでもいい、というような単純だが、人間生活の基本にもとづいた正常な考え方が、これからは政治の流れを変えるだろう。人知では抹消できない放射能を垂れ流してまで原発に依存するなんてナンセンスというような。
この意識改革が深く静かに進行するという意味で「2011.3.11」は大転回の記念すべき年になろう。いや、なってほしい。
落款の「大」は字を垂直に押すようにわざと印を傾けて彫った。井上有一の落款をヒントに改良したもの。国が傾いてもマッスグでありたい。
篆書 立軸 紙本濃墨 54×112/41×28
関防印 2011 3 11
制作 2011
番号 大00124
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/09/15 上に戻る
今人作人多自私 我心不説君応知
今人 人と作(な)るや多く自ら私す
我が心説かずとも君応に知るべし(王維)
世間の風潮を嘆く。
今の人は人となるや多くを自私する。
「作人」はひとかどの地位に立った人の意味であろう。
「自私」はどちらも「おのれ」だから、自分のことばかり考える、私物化するとでも訳せようか。
自己主義、エゴイズム、他者を排除する思い上がりばかりだ、と王維は怒っている。当時は「東電」などはまだなかったのだが。
いまさら説明しなくとも君ならわかっているよね。と心許せる友に言っている。
石門頌の隷書をどう書刻に生かすことができるか、私の数年来の課題である。
板はイチイ。一位と書く。目のつんだ良材で、これだけの長さのものはなかなかお目にかからない。別名オンコ(アイヌ語起源)ともアララギともいう。会津八一が彫らせた「双柿舎」の額がイチイだったが、八一は板には不案内だったらしく新潟の寺山啄木という彫師に問い合わせて、ノンコウと記している。聞き違えたのであろう。八一記念館(早稲田大)の展示でそれを知った。
隷書 書刻 楹額 一位板 彫込
薬研彫 文字色 白緑
10×112
出典 王維
制作 2005
番号 大00123
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/07/29 上に戻る
遠芳侵古道 晴翠接荒城

遠芳 古道を侵し 晴翠 荒城に接す(白居易)
遠くのほうからよい香りが古道にただよってくる。晴れた空の翠(みどり)が荒城に接している。エメラルドグリーンの空と荒城の茶との色彩の対比。
「遠芳」の二字がはやくも春の香りを暗示する。「侵」という動詞の使い方がまことにうまい。古道に「満つ」では陳腐だし、古道に「香る」もおざなりだ。「侵す」というきわどい言い方で、入り込んでくる香りの強引さが伝わる。このため、控えめで地味な古道が見えてくる。
このすぐれた文字感覚を有する詩人は白居易。さすが。
ケヤキ板に蘇芳染めを施した。蘇芳の煎じ液を引き、次に媒染剤である硫化第二鉄を塗る。煎じすぎて紫の発色であるはずが、やや黒味がかってしまった。
行書 書刻 額 欅板 蘇芳染 彫込 平彫
20×60
出典 白居易
制作 2006
番号 大00122
作者 : 3.岡村大
掲載 : 2011/07/24 上に戻る
