4-12 扇面考 扇面の歴史 4 紙貼り扇
一方、礼式用ではなかった夏扇も、紙の技法の発展とともに、金銀箔を多用する砂子紙がその技を競うようになり、扇に用いられるようになります。
折り畳む数も次第に増え、35枚重ねともなれば、桧扇では高度な技術がなければできませんが、紙を折り畳むのであればそれが可能でした。こうして紙貼りの扇が、その軽さ、制作の便利さの上で次第に桧扇を凌駕するようになります。
重ねる、という着想を美的に高めたのもこの時代でした。着るものにしても「重ね着」にして襟元でズラせて見せる時代。色は重ねて楽しむことを日本の女性は知っていました。日本独自の扇の文化は「畳める、重ねる」という特性を充分に発揮する紙の改良がそれをまた可能にしたのでした。和紙の繊維は強靭で、折り曲げてもそれに耐えることができます。中国の唐紙などは腰が弱く、扇の紙には使えない欠点がありました。
紙は書を書く必需品ですから、当然紙の扇には書画が移り住むことになります。女手(めて)であるかなが扇に書かれる伝統は、このようにして宮廷の女御、更衣、女房たちによって、切磋琢磨されたのです。
10世紀の終り、宋の時代になると、日本の輸出品目に桧扇と紙貼り扇が見られるようになります。「宋史・日本傳」には僧侶の贈呈品目の一群に「蝙蝠扇」と記されています。「蝙蝠」とはもちろん漢語にはない単語で、「カハホリ」つまり「カミハリ」の音が転化して「蝙蝠」の漢字をあてはめたものだとされています。紙貼り扇は中国にはなかったので、この美しさにびっくりしたようです。そしてただちに例のお家芸である「模造」を始め、「唐扇」の名をかぶせて、日本に輸出し、また日本以外の国にも輸出することに成功しました。「唐扇(とうせん)」の名はあたかも唐代からの伝統品であるかのような、巧妙な悪知恵の命名ですが、実は宋代の中国人が驚いたほどの珍しい品であったわけです。
日本の紙貼り扇は折り畳めるという独自の工夫を盛り込んだ特産物となりました。これは遣唐使を廃止して、国風文化の熟成に百年ほどの時間をかけた成果だと言えます。
掲載日時 2009 年 12 月 06 日 - PM 04 : 20
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