4-1 扇面考 はじめに
扇子(せんす、おうぎ)は身近かなものながら、近年では衰退しているものの一つに数えられるかもしれません。クーラーが浸透した今、涼をとるために扇子を携帯している人も見なくなりました。電車の中でご婦人が香の強い扇子をしきりに動かして、隣にいる私を辟易させることもたまにあります。思うに、汗だらけの顔をさかんに扇ぐ光景も、かの庶民宰相・田中角栄氏以来、トンとお目にかかることがありません。
日本の文化のなかで、扇(あふぎ)は単に風を送るためのものではありませんでした。正式の場に臨むにあたっては、必ず懐中に携えるべきもの、紳士淑女の礼儀の小道具として使われるもの、というれっきとした用途もあったのです。こうした作法はお茶を習った人ならイロハのイの字です。
能舞台に上がる場合に扇なしに上がることはありません。一定の作法に従って、腰にはさむ、右脇に置く、膝の前に置く、右に立てて持つ、などの所作に伴う様式として大活躍している小道具です。
古く王朝時代には恋人に対して、扇に和歌を添えて贈るのがならわしでした。扇と和歌、それにかな書は密接な関係にあります。私は書家ですから、扇に字が書いてあると必ず目にとまります。そしてこう思います。
「これは動く書作品だな。携帯できる書画なんだな。」
ちょっと考えてみてください。書や絵画を折り畳んでフトコロにいれて、たとえ駅のベンチででも即座に広げて見られるようにできているのですよ。こんなハンデイな美術品を思いついた文化を考えてみたいじゃありませんか。
というわけで以下は書人の目から見た「扇面考」です。
掲載日時 2009 年 11 月 29 日 - 午後 02 : 43
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