3-6 般若心経の本文 (6)聖教序碑 - エッセイ論文

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3-6 般若心経の本文 (6)聖教序碑

(6)聖教序碑

 玄奘の翻訳事業の本拠地であった弘福寺の寺主・円定らは、この大偉業を記念すべく、太宗の序文を石碑にして永くとどめようと思い、碑刻を願い出た。648年ただちに許可が下りた。
 
■■帝王の好みを利用■■  さて、刻するにあたっては誰かが皇帝の文章を書かねばならない。ここで石碑を担当した僧・懐仁(えにん)は奇策を思いついた。太宗の「王羲之好み」に着目して4世紀ごろの人・書聖・王羲之(303ごろ~361ごろ)の字で碑文を作ろうというのである。太宗の熱狂的王羲之信奉は世にとどろいていた。王室の収蔵庫には国中から集められた王羲之の真筆(ただし真偽のほどの疑わしいものも含まれてはいたであろう)が山をなしていたと思われる。この宝の山に入り、めざす文字を選出するというとほうもない計画が懐仁に課せられた仕事だった。

 この石碑が現存する「集王聖教序碑」である。「集字聖教序」ともいう。王羲之の書を「集字」したからである。この碑は太宗の「序」と皇太子の「述記」を記しているが、この最後に当該の「般若心経玄奘訳」が刻されているのである。

■■したたかな玄奘■■  碑の主文はいうまでもなく勅書に相当する「玄奘礼賛文」であるが、最後に玄奘の新訳「般若心経」をつけ足したところが面白い。膨大な玄奘訳をちょっと紹介するには、分量的に適切ともいえるこの「心経」を思いついたのはほかならぬ玄奘自身であったのではなかろうか。少なくともこの碑の文章の拝領からして玄奘がかかわっているのであるから、碑刻の申請も建碑計画も玄奘その人が深くかかわっていたであろう。権力者に対する操縦に長けた玄奘が、太宗の王羲之信奉を見逃すはずはなく、文字の選定を懐仁に委ねればよかった。

掲載日時 2009 年 11 月 28 日 - PM 04 : 54

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