大久保公神道碑 登場人物 関連墨蹟 はじめに
はじめに
「大久保公神道碑」に登場する維新の元勲たちは善玉も悪役も含めて、その筆跡が好事家の収集の対象になっている。歴史上の人物の書であるから値がつくのは当然だとして、書道史では取り上げない。書家の字とは一線を画し「素人芸」にくくられるからであろう。小説家の書が書道全集にないことと同じである。
しかし時代は大きく変わった。今私が身を置いている社会は「書」とは縁遠くなっていて、指先でスマートフォンをつつくだけの「書き方」で済む便利な生活である。かく言う私もキイボードを叩いてこれを「書いて」いる。 ▲ノーベル賞作家の書く字
筆記用具としての筆は特殊な趣味人の持ち物となり、美しい文字を手で書くという文化は過去のものとなった。中学生のような稚拙な字がノーベル賞作家のものだと言われて目を疑う人も少なくなったらしい。ありがたい時代である。
これに比べて幕末という時代はおそろしくも「書」の全盛期であった。郵便事業はなく電話もメールもなく、信書の秘密が守られる保証もなかった。手紙は信頼できる誰かに託さねばならない。できれば剣の達人がよい。信書はしばしば漏れた。漏れても困らぬような配慮が文章には必要だった。公的に書かれたものと本音とは正反対の場合もよくある。書かれたものは必ずしもあてにはならない。
政治人間はひたすら紙に筆で書した。幕末ほど多くの志士が書に主張を委ねた時代はあるまい。そのためには習わなくてはならない。書状の「草書」は一朝一夕では会得できないものである。ひとかどの武士なら子供の頃からトレーニングを強制された。これは藩校や私塾や、寺子屋の識字教育がかなり進んでいたことと無関係ではあるまい。(恐らく世界的な奇跡ともいうべきか。)この碑文の登場人物は天皇、将軍、高位の公家、大名、老中、家老たち上層部であって、書と漢学の素養にかけては幼いころから万全の薫育を受けていた。大久保や西郷、桂などの下級武士は人並み以上の努力を払ったはずである。
この書の環境こそ幕末の時代を特徴づける大きなファクターである。学習科目はもっぱら漢文で、理数系や経済、外国語はなかった。とりわけ重視されたのが、中国の詩文、史書、および朱子学であった。幕末には朱子学は神道と融合して特殊な「日本教」を形成するが、その思想のバックボーンとなったのは水戸の天皇カリスマ史観『大日本史』だった。今日の人間には想像もつかない片寄った研鑽の時間がそれらにあてられた。彼らの「筆墨」の筆致が(その書かれた内容はともかく)それぞれの人物の勉学を映し出している。
私は字を書く旧時代の人間なので、「古文書」が活字化されて筆跡はすっかり埋没してしまった今、このエッセイに登場する人物を、その筆跡で確かめておくことにしよう。そうすれば刀をふりまわして天下国家を論じていた恐ろしい時代の人間を理解する一助となるかもしれない。
掲載日時 2018 年 09 月 17 日 - 午後 08 : 08
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