3-2 般若心経の本文 (2)摩訶
(2) 摩訶
「般若心経」は玄奘訳を用いることになっていて、経題のあとに「沙門玄奘奉詔訳」と記すのである。したがって「般若心経」の本文は玄奘の訳したとおりに記さねばならぬ。しかるに玄奘(602~664)は「般若波羅蜜多心経」とだけ訳して、「摩訶」をつけてはいない。「摩訶般若波羅蜜大明咒(呪)経」と記すのは鳩摩羅什(くまらじゅう、クマーラジーヴァ 350~409ごろ)の訳である。(以下羅什訳という)
■■旧訳の不備を正すための渡印■■ 羅什は南北朝初期の後秦の時代に長安に来た。その訳経は玄奘以降を新訳というのに対し旧訳という。言わずもがなのことを書くのは気が引けるが、ご存知のかたは我慢して読んでいただきたい。そもそも玄奘のインド行きは「旧訳」の不備を自ら確かめるためであった。つまり、インドへ行き、サンスクリット語の本文を学び、それを請来して、訳経史に「原本にもとづく中国人の、中国人による、中国人のための中国語訳」を確定するためであった。羅什はいにしえの訳者であり、しかも外国人(インド人)であった。漢字に精通していたとは言えず、おそらく通訳を介して訳出したものであろう。その通訳が仏教用語に精通していたかどうかが、また問題である。「旧訳」に疑問点がなかったなら、玄奘も国禁を犯してまで密出国する必要がなかったのである。
■■玄奘は敢えて摩訶を省いた■■ 玄奘訳の基本には、ありていに言えば、旧訳に対する対抗心、自分の「新訳」への自負があるのである。そこで玄奘が羅什訳の「摩訶」を知りながら、敢えてこの二語を取り去ったことには意味がある。サンスクリット語の本文には mahā(摩訶と音訳する)の語はなかったということである。
このサンスクリット語(マハー、大きいの意)を羅什は「摩訶」と音訳するが、玄奘は必ず「大」と意訳して、羅什訳とは一線を画している。市販の「般若心経」のテキストが「玄奘奉詔訳」と記しながら、「摩訶」をかぶせることは明らかに不当である。
掲載日時 2009 年 08 月 30 日 - PM 06 : 51
