5 筆録の系譜 12)プラトンの弁明
いくら記憶力に自信があったとしても、師への背信行為にも等しい「筆録」には、プラトンもいささかの「後ろめたさ」があったのでしょう。彼の『第七書簡』にはこう書かれています。
「(書物を著す)これらの人は、少なくとも私の判断では、肝心の事柄を少しも理解している人ではありえない、と。」(341c)
また、
「何であれ、それら(書物)はその人にとって、もしその人自身が真面目な人であるなら、真面目な意味をもつものではなかったのだと知らねばならない。むしろそういう真面目な意味をもつものは、どこかその人の持っている最上のところ(心の奥)に置かれているのだ。」(344cd)
この部分を田中美知太郎氏は「書かれたもの一般が真面目な意味をもつものではないとして否定されているのである。」と簡潔にまとめています。
プラトンはソクラテスの文字否定の精神をやはり受け継いでいるわけで、『第二書簡』では
「これらについてわたしは未だかつて何も書いたことはない。プラトンの書いた書物はいまも何ひとつないし、これからもないだろう。現在プラトンの著と称されているものは、美化され若がえらされたソクラテスのものなのです。」(314c)
と、白ばっくれるよりありませんでした。
『プラトンの学園アカデメイア』の中で著者広川洋一氏は、
「なにゆえ、かく述べたプラトンが少なからぬ対話篇を書き著わしたか。この点については少なくとも私たちのこれまでの考察からは真面目な解答はほとんど与えられていない。それはやはり一つの謎としなければならないだろう。」(同書pp.186)
と述べています。相手は確信犯なのですから「真面目な」人にとっては一筋縄では行かないのでしょう。
掲載日時 2010 年 07 月 23 日 - PM 02 : 19
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