5 筆録の系譜 10)書くことさえ
私は今「文字」の根底にゆさぶりをかけています。
文字を使うおかげで「傾聴する」ことが希薄になっている、と前項でのべましたが、「みじろぎもせず」「かたずをのんで」「全身を耳にして」などという言葉が死語にひとしい時代になり、傾聴することを必要としない時代になっている、と言うべきなのかもしれません。
授業をサボり、ひとのノートを(書き写すこともなく)コピーして試験に臨むことが、大学生ですら可能な社会になったのです。何と便利な世の中でしょう。書くことを手に入れた人間は聞くことをおろそかにするようになっただけでなく、今、親指でメールを打ち、キーボードでローマ字打ちをして「書く」ことさえしなくなっています。「鬱という字が書けなくて鬱になり」と「読売時事川柳」にありましたが、打って表示はできても、いざ書く段になると書けないのです。
聞くことも、書くこともしないで済む便利な時代に私たちは急速に突入しています。書くことによって伝わってきた文字の根底までもが、確実にゆらいでいるのです。
この便利さと引きかえに何を失っているのか、少しずつ見えてきました。そして今文字を書いている私自身にとって、まだ文字がなく、耳と音に頼っていた時代に対するイメージを、もっと具体的に知ることが大切ではないか、と思うのです。なぜなら、そもそもこのソクラテスの文字否定の考えを、私たちは何と「書かれた文字」によって知り得ているのですから。
掲載日時 2010 年 07 月 08 日 - PM 06 : 42
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