5 筆録の系譜 9)音の時代へのイメージ
マニフェストに書いて公表したものを、いともあっさりと反古にするのは「書きっぱなし」の最たるものです。「最少でも県外」と言うのも「言いっぱなし」でした。まだ文字のなかった時代には、いったん口に出したことはそれなりに真価を持っていたはずです。
「綸言汗の如し」という言葉があります。言葉による伝達の時代だから、天子の言葉は引っ込みがつかないこと、それ故に言葉の重さを庶民も充分に感じていたことを物語っています。
今、私が「音による言葉の時代」を考える上で、かつてのこうした世界をイメージしておくことは多くの手がかりを与えてくれます。
たとえば、お母さんが子供に買い物を頼んだとします。「大根と人参と、牛蒡と、椎茸とそれぞれいくつずつ」というように。言われた子供はそれをまるごと憶えて行くわけです。(メモのない時代です。)もしも途中で数を忘れたら引き返さねばなりません。八百屋では必死になって記憶を呼び戻すでしょう。
このようにして育った子供は、ひとの言うことにしっかりと耳を傾ける習慣が身につくはずです。しっかりと聴くことが責任を全うすることに直結するからです。メモを渡されて買い物に行く今の子供は、その訓練がなされずに育ちます。教室で先生の目をみつめ、「かたずをのんで」傾聴する態度は希薄です。教えられたことを瞬時に記憶の細胞に叩き込む自己トレーニングが、文字社会の中で日常的に不足しているのです。
文字によって「記憶を呼び起こす作業をしなくなる」とソクラテスの言ったことは見事に当たっています。
掲載日時 2010 年 07 月 02 日 - PM 01 : 51
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