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    <title>書道コラム</title>
    <link>http://www.seikeikai.net/column/</link>
    <description>本格書道サイトの書道広場！稀代の書道家・岡村天啓先生の教えを引き継いだ岡村大が監修。本物の書道を学びたい方のための書道教室「青渓書苑」もご紹介！まずは習字からという方も大歓迎！</description>
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    <copyright>青渓会</copyright>             <!-- Copyright notice -->
    <category>Weblog</category>
    <item>
 <title><![CDATA[119　日本橋・京橋の書刻看板]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_01-29-2012.html</link>
<description><![CDATA[　<b>広場ニュース</b>でお知らせしているように、来る<b>２月８日（水）</b>の午後１時から３時までの２時間ほど<b>ＮＨＫの青山教室</b>で私の講演が予定されております。題目は<b>「日本橋・京橋の老舗の看板」</b>ということで、これは昨年夏の「銀座編」につぐ第２弾です。<br />
<br />
　ご存知のようにこの地域には老舗が数多くあり、その看板も名だたる書家、名士が揮毫していますので、お出かけの道すがら、ちょっと足をとめられて鑑賞なさるのも街歩きの楽しみのひとつです。<br />
<br />
　まずは日本橋、京橋という実際の橋の表札に目を向けねばはじまりません。いうまでもなく日本橋の大きな表札は高速道路の脇腹に掲げられており、第14代最後の将軍・徳川慶喜の書です。これは橋にふさわしい揮毫者です。恨むらくは日本の道路原点ともいうべき橋の上に高速道路を架け渡すなどというはしたない真似を、東京オリンピックの頃にお役所がしたせいで、日本橋は暗くうっとうしい橋にさせられています。私は憤慨しているのですが、日本橋の方々も「あれはどうにかならないか」と心を痛めておられるのではないでしょうか。しかし、江戸っ子は非常にシャイでありまして、あまり声を大にして言いつのったりしておりません。私もシャイではありますけれども、この講演をよいチャンスとばかり、この悪しき道路行政を口をきわめてののしってみたいものであります。パリの凱旋門やミラボー橋の上に高速を架けますか？　ロンドン橋の上に道路を架けたりしますか？　私の毒舌は至極あたりまえの考えだと思いますが。<br />
<br />
　というような次第で、２時間ほど漫談をいたしますので、ヤジ馬根性のあるお方はＮＨＫに電話をして申し込んでください。火事やケンカに物見高いのも江戸っ子の長所なのです。さて紙面が少なくなりました。京橋の表札は果たしてどなたの揮毫でしょうか。橋のたもとにある区の作った説明書きには佐々木支陰という詩人の書とありますが、実はその反対側にもうひとつ塔にはめ込まれた「京橋」の表札があります。この書者については誰も知りませんが、それについては講演で。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_01-29-2012.html</comments>
 <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 19:20:47 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[118　謹賀新年　2012]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_01-19-2012.html</link>
<description><![CDATA[　<b>明けましておめでとうございます。今年もよろしくコラムをご覧ください。</b><br />
<br />
<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20120119-01.jpg">null</a><br />
<br />
　今年こそは「<b>四海波静</b>かにて国も治まる時津風」となってほしいものであります。我が国は海に取り囲まれているのでありますから、四周を原発に押さえ込まれていては危険きわまりなく、夜もおちおち眠れない年頭ではあります。<br />
　表記の金文と言われる篆書は青銅器時代の古い字形でありまして、「四」は四本の横線であります。「波」という字にはまだサンズイがついておりません。サンズイがつくのはあと400年ほど後の時代なので、「皮」だけで対処していたものと考えられます。　皮は皮自体を意味するとともに、なめらかであることも意味しております。「静」という字は青の下に鋤（農具のスキ）がありまして、三本のフォーク状になっております。両脇に手がそえられております。この農作業によりまして青々とした田畑が期待されるということであります。<br />
<b>　「四海　皮（なめらか）にして静（ゆた）かなり」</b>　これが私の年頭のご挨拶であります。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_01-19-2012.html</comments>
 <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 13:10:26 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[117　有馬記念]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_12-18-2011.html</link>
<description><![CDATA[　競馬の世界では「馬」を「ば」と読んでいます。馬場、馬体、乗馬、牝馬などなどです。しかし12月の「有馬記念」は「あり<b>ば</b>きねん」ではなく「あり<b>ま</b>きねん」と「ま」になっています。「馬」を「ま」と読む例は「絵馬」とか「相馬」とか「野馬追い」「但馬」など日本古来のものや、地名などに残っているようです。<br />
　なぜ「ありば記念」ではないのかと言うと、有馬頼寧（ありまよりやす）という人の名だからです。この方は長らく日本中央競馬会の理事長をつとめ、その引退を記念してオールスターのレースを年末に創ったのだそうです。<br />
<br />
　有馬家は九州・久留米藩・21万石の代々の当主で、有馬頼寧公はその14代藩主なのです。その久留米の屋敷にあった氏神様を江戸の上屋敷に祀り、有馬家の江戸における守り神としたのでしょう。その上屋敷はもとは三田にあり、明治５年に中央区に移りました。水天宮神社にある弁天堂がそれで「弁財天」の額がかかっており、「有馬頼寧謹書」と落款があります。当時は広大な敷地を有していたらしく、その土地の一部を割譲して小学校が建ちました。今ある有馬小学校です。<br />
<br />
　そんな話をしたら煉瓦亭の若い衆が「よし、今年は水天宮に詣でてから買うぞ」と張り切って言うので、水天宮は安産の神様もあるし、岩田帯はあなたに用はなさそうだ。また安徳天皇も水天宮には祀られていて、そちらは壇ノ浦に飛び込んで滅びたかただから、お宮を間違えないように、と言っておきました。「弁財天」の額がかかっているお宮が有馬家の氏神様です。まずはここにお参りして感謝の念を捧げてから馬券売り場へ向かうのが筋でしょう。あたるかどうかは私の知るところではないので、神様に聞いてください。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_12-18-2011.html</comments>
 <pubDate>Sun, 18 Dec 2011 18:57:21 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[116　from A to B]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_12-08-2011.html</link>
<description><![CDATA[　前から気になっているのですが、もの言わぬは腹ふくるるわざ、と言いますから、ここに一言述べておきましょう。<br />
<br />
　英語で「ＡからＢまで」というとき、「from Ａ to Ｂ」と習いました。「 to」　を抜かしたらバツです。どなたも中学の時に習ったはずです。<br />
　しかしＮＨＫの天気予報では「名古屋から那覇です。」と「まで抜き言葉」を連発しています。民放ならともかく、公営放送がこれほどに日本語の原則を破って憚らないのは、「ことば」を大切に、美しい日本語を使おうという自覚がないのか、チェック機能がないのかどちらかでしょう。誰も注意をしないのでしょうか。「名古屋から那覇にかけてです。」と言ったアナウンサーがありましたが、やれやれ直ったか、と思ったのもつかのま、恐らく今晩も「札幌から東京です」と、まさに「ヌケヌケ」と言っているだろうと思うと、気色が悪くなります。<br />
　こういう言い方は毎日毎日連発されると定着してしまい、私のような年寄りだけが違和感を覚える言葉となって「古いのねえ。今はそう言うのよ」と片付けられそうです。「ら抜き言葉」がそうでした。<br />
<br />
　否定辞を伴う言葉というものがあります。「未だ」と云えば「～せず」と終わらないと落ち着きません。「全然」も同じで「～しない」と続きます。これらは漢文に親しんでいる私のような人間には自然の流れなのですが、今では漢文を読まなくなっているせいか否定辞を伴う語は、日常会話では死語に等しい有様で、「全然大丈夫」などと平気で云っています。全然大丈夫じゃありません。<br />
<br />
　若い人は既製概念を壊したくて、新しい語感を発明するものです。私も若い頃は「ナウい」などと言い放って、「それはどういう意味かね」と教授に逆襲された経験があります。若い人同士で「手から足です」と言っても私は大目に見ますが、公共の電波は日本語の原理原則を守るべきです。そうでないと、「from Ａ to Ｂ 」としゃべっている米英人が来日して戸惑うでしょう。<br />
<br />
<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_12-08-2011.html</comments>
 <pubDate>Thu, 8 Dec 2011 17:57:40 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[115　王羲之　生原稿の手法]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_12-01-2011.html</link>
<description><![CDATA[　書庫の整理をしていたら、20年前の岩波「図書1989.11」が出てきました。イラストレーターの山藤章二氏が巻頭に面白いことを書いています。<br />
　氏は当時「オール読物」の「アタクシ絵日記」という連載を手がけていたようですが、<br />
<b>「私はこの仕事で“書き損じ部分”をホワイトで修正せず、黒つぶしをしたり、吹き出しで加筆するという生原稿の手法をそのまま用いている。そこが面白い、書き手の迷いや推敲が手に取るようにわかる、と多くの人に言われる。ところがこれは私の策略であって、書き損じたのではなく意図的につけたアクセントなのである。」</b>というところです。<br />
<br />
　有名な王羲之の「蘭亭叙」は草稿という体裁を持っていて、行間の書き込みや、書き直し、黒つぶしなどがあります。王羲之がいくら書き直してもこれ以上のものが書けなかったのでこれを子孫に伝えた、と苦しい言いわけ話まで伝わっています。<br />
<b>【図Ａ】</b>　　　　　　　　　　　　<b>　【Ｂ】　</b>　　　　　　　　　　　　　<b>【Ｃ】　</b>　　　　<br />
<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20111201-0b.jpg">null</a>  <a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20111201-00.jpg">null</a> <a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20111201-0.jpg">null</a><br />
<b>【Ａ】</b>行間の書き入れ（八柱本の一：虞世南）　<b>【Ｂ】</b>書き直し（八柱本の二：褚遂良）　<b>【Ｃ】</b>削除（八柱本の三：神龍半印本）　<br />
<br />
　今日伝わるものは唐の太宗が榻書人（とうしょじん＝書き写す人）や虞世南、欧陽詢、褚遂良などの名筆家に写させたものの刻本などで、八種ほどあり、どれもこの推敲の跡をそのまま臨書しています。これらは真筆のコピーのまたコピーなのですから、清書されたとすれば本物はいかほどすばらしいものであったか、と我々は戦慄するのです。<br />
　しかし山藤氏が企んだように、これも王羲之がわざとした作為的なものなのだとすると、私たちはその策略にまんまとひっかかっているのかな、と整理の手をとめて、少し愉快な気持ちになったのでした。<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_12-01-2011.html</comments>
 <pubDate>Thu, 1 Dec 2011 17:20:27 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[114　三点セット]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_11-24-2011.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20111124-0a 005.jpg">null</a>　中国の門は三点セットのよい見本です。これは北京のシェラトンホテルの玄関横に立つ門です。「一街百味」とありますから、ここをくぐると美味しい食べ物屋さんが並んでいる街路ですよ、というメッセージ。実際はこの門の背後にはビルが連なっているだけで、食堂街はありません。門だけ残したのでしょう。<br />
<br />
　中央上に横額がひとつ。「扁額（へんがく）」というのが良いと思いますが、「篆額（てんがく）」ということもあります。これは漢代に石碑が流行ったとき、隷書の碑文の上部に篆書で題記したからです。そのころ篆書は重厚で、クラシカルで表題とするのにふさわしいと考えられていたのです。そこで表題すなわち篆ということになり、楷書であっても「篆額」という呼び方だけが残ったのです。板に書を彫ったものを「篆刻」というのも同じ習慣からです。しかし私のように楷書も行書も彫る人間からすると、どれも「テンコク」というのは不適切なので「書刻」と呼ぶことにしています。また印に彫る人は「篆刻」と言っています。これは篆書を彫るので正しい用法ですが、私がヒノキの板に篆書を彫って「篆刻」というと、印と間違えられるので、私は「書刻（篆書）」とし、印に彫った場合は「印刻」と呼ぶようにしています。<br />
<br />
　三点セットの左右の縦長の額は対（つい）になっており、これを「楹（えい）」と言います。意味は「柱がけ」です。対（つい）のことを「聯（れん）」というのでこれは「楹聯（えいれん）」です。「扁額」と「楹聯」とでフルセットというのが中国の門（出入り口）の様式です。<br />
　向かって右「西饌（せいせん）中肴（ちゅうこう）一街に匯集（かいしゅう）し名街を創る」左「古烹（こほう）今飪（こんじん）五味を拈来（てんらい）し奇味を調う」意味は「西のごちそう、中央の料理、一街に集結して名街をなし、伝統の煮物、新しい料理、五味を駆使して奇味をつける」とあります。<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_11-24-2011.html</comments>
 <pubDate>Thu, 24 Nov 2011 16:03:20 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[113　山門]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_11-19-2011.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20111119-0a.jpg">null</a>　同じ避暑山荘の宮殿区の北にある「岫雲門（しゅううんもん）」の額です。　板は昔このあたりに多く産出したという楠（クス）ではないかと思います。漆をかけ、字は飛び出して見えますが彫り込みで、文字に金箔を押しています。中央に「御璽」がありませんから皇帝の書ではないようです。<br />
　<br />
　よく見ると「岫」のヘンの「山」に遠慮して、ツクリの「由」が左肩をハズしているのが何とも微笑ましいですね。字にも譲り合いの精神があるようです。このあたり、もし皇帝だったら、譲らずに堂々とぶつけるなり横切ったりするでしょう。前回の「暑」の字を見てください。下の「日」などは遠慮どころか「者」のタスキがけの中に突っ込んで書いています。どうです？　このおおらかさが皇帝の皇帝たるところで、「岫雲門」のほうはやはり臣下の書ではないでしょうか。<br />
<br />
　門には名前があり、当然、門標としての額が掲げられています。中国ほど律儀にこの表示をつける国はありません。どんな門にも立派なヨコ額が中央にデンと居座って迎えてくれます。<br />
　ところが書の出番であるこの表示文化は我が国ではどういうわけか根付きませんでした。皆さんもよくご存知の「桜田門」には桜田門と書いた額は掛かっていません。皇居を取り巻く「半蔵門」「田安門」「清水門」「桔梗門」などにもありません。<br />
　お習字は盛んに輸入した我が国ですが、それの活用法はイマイチなので、中国に行くたびに「どうしてだろう？」と考え込んでしまう私です。書家の営業活動が江戸時代からきっと皆無なのでしょう。<br />
<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_11-19-2011.html</comments>
 <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 13:22:57 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[112　王者の書]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_11-10-2011.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20111110-112.jpg">null</a>　<br />
<br />
　上は承徳の避暑山荘の額です。北京から東北に250キロほどの小都市で、清の皇帝が避暑地として夏の政務をとったところとして知られています。その入り口の内午門に掲げられている大きな額で、康熙帝の書。帝王のおおらかさが出ている悠揚せまらぬ筆致です。群青の地塗りに金箔押し。この色彩パターンはあちこちの山門にかかる額の定型です。紫禁城などすべての建物の表示にこのような額があります。<br />
　落款は印だけで、遠くからは見えませんが「御璽」とあります。天子は名前など書きませんから、これだけです。（ちなみに日本の天皇の印も同じです。）　ど真ん中の上に押しています。私たち下々は左下に押すのですが。<br />
<br />
　額縁はこれぞ中華！と云わんばかりのゴテゴテ、キンキラ趣味。中国の皇帝の書は、このような悪趣味の大仰な額に入れられて、中心的な場所に飾られてしまう宿命にあります。幼少時から帝王としての書をトレーニングしておかねばなりますまい。ヘンリー８世の字がケンブリッジ大学のキングスカレッジにかけられているという話は聞いたことがありませんから、これは書文化の国の王者ならではでしょう。<br />
<br />
　皇帝の書はそのような理由で庶民のものよりはるかに丁寧に保存されたため、比較的多く残っています。また書道全集に収録されているものも少なくありません。唐の太宗は有名ですし、康熙、乾隆の書もよく見かけます。<br />
　私は王者の書にある品位を評価したいと思っています。悠揚せまらぬ、と述べたように、書にはこのおおらかさがほしいものです。うまく見せようとしない書、ある意味では稚気と云ってもよい飾らない書、それが王者の書に共通して流れています。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_11-10-2011.html</comments>
 <pubDate>Thu, 10 Nov 2011 12:54:52 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[111　至福の時]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_11-03-2011.html</link>
<description><![CDATA[　夕食後、所用があって中野富士見町まで歩きました。途中、杉並能楽堂の前を通りかかり、門は閉まっていましたが、奥から朗々とした声が漏れ聞こえてきます。明らかに御当主・山本東次郎師の声です。夜の７時半ごろです。明日の舞台の準備をなさっているのでしょうか。<br />
<br />
　もう50年も前、高校時代に先代の山本東次郎師が学校の講堂で講演なさったことがあります。当時は日本の古典芸能を知ってもらおうと各学校でこうした催しがあったようです。<br />
<br />
　講演のあと、装束をつけて再登壇した師は、面と鳳凰の冠を戴き、何と「羽衣」の天人の装束姿でした。そして「羽衣」のキリを優雅に舞って見せたのです。当時の私は学校の帰りに大曲の観世会館にしばしば通う「お能好き」でしたから、内心は小おどりして喜びました。狂言方の能など「乱能」でもない限り滅多に見られないからです。<br />
<br />
　このあと、友人の加藤が『近くで聞いてうるさくなく、しかも遠くまで聞こえるのが私どもの理想の声です』というさっきの話は面白かった。まるでアマティと同じだ、と感心した顔で言いました。彼の祖父は当時東京芸大の音楽学部長のポストにあり、バイオリンの名器・ニコロ・アマティの所持者として知られています。「わが家で聞くと大きな音ではないので、コンサートホールではどうかな？と思うのだが、実際にホールで演奏すると三階席の奥までよく通る音なんだ。名器とはそういうものらしい。」と加藤の話です。<br />
　<br />
　確かに、先代の東次郎師の声は静かで、しかも良く通るすぐれた発声でした。そのご子息・現東次郎師の漏れ聞こえてくる声を聞いて、やはり言葉の端々まで聞き取れる明瞭な発声にしばし聞きほれました。杉並能楽堂の門前はもうすっかり暗く、秋の冷気が忍び寄っています。私は懐旧の情にふけりながら、ちょっとした至福の時を過ごしました。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_11-03-2011.html</comments>
 <pubDate>Thu, 3 Nov 2011 15:32:11 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[110　野村万作の「蝸牛」]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/column/date_10-20-2011.html</link>
<description><![CDATA[　国立能楽堂で野村万作、萬斎の狂言「蝸牛（かぎゅう）」を見ました。（10/12橘香会）<br />
　この狂言は「雨も風も吹かぬに、出ざ釜打ち割ろうー」と前振リを述べ、続いて「でんでん虫虫、でんでん虫虫ー」と囃すだけのものですが、「でんでん虫虫」に思わずつられて足が上がってしまうところが何とも馬鹿馬鹿しく、何度も笑ってしまうのです。<br />
<br />
　かなり昔（昭和34あたり）に、矢来の舞台で萬蔵、萬之丞、万作の「蝸牛」を見て、そのあまりの可笑しさに「これは一体何なのか」と首をかしげてしまったことがあります。要するに人間が「思わずつりこまれてその動作をする」ということが原点になっているわけです。そのあと高校の友達と大曲の観世会館で、同じ萬蔵たちの「蝸牛」を見、見所の大爆笑を目の当たりにし、この狂言は本物なのだと確信しました。<br />
<br />
　コント５５号の全盛期、同じことをして笑わせていました。欽チャンが二郎さんを追っかけます。欽チャンの下駄が片方脱げて片チンバ（差別用語だったら片不自由とでも言うしかありませんね。）で追い回します。するといつの間にか逃げている二郎さんまで片チンバ走りになってしまうのです。<br />
<br />
　昔見た「蝸牛」は太郎冠者だけでなくアド（主人）まで最後にはつられてしまうのでしたが、今回見たものは「演出」が加わっていて、例えばシテの山伏（万作）が「エイ」とばかり気合を入れると、その暗示によって太郎冠者（萬斎）がつられてしまう、アドはつられない、となっていました。その結果全く面白くない「蝸牛」でした。ツジツマの合う説明を入れたばかりに、本来のこみ上げる笑いがなくなってしまったのです。<br />
<br />
　和泉流の「蝸牛」は最高に面白いものだと信じていた私にとって、この下手な演出イジリは致命的だったと思います。演劇性などは後回しでいいのです。かつての舞台で、涙を流して笑い転げていた見所を知る者にとっては何ともつまらない「蝸牛」でありました。万作一家は笑いの原点に立ち戻るべきです。<br />
　この日の番組は「梅若万三郎古稀記念」とあって、至芸づくしでしたが、その話はまたあとで。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/column/date_10-20-2011.html</comments>
 <pubDate>Thu, 20 Oct 2011 13:52:26 +0900</pubDate>
</item>
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